母の待つ部屋へ戻った。
やっと帰ってきた私の顔を見るなり、「長く、これ、付き合うんだよね」と、母が言った。

「病気と長い付き合いになるって事かい」
「うん。だから、ちっと、やめてみるか……」
「何を……」
「サプリメント」
「それはだめだよ。やめる理由もないでしょ」
「はぁー……(大きな溜め息)」

「だいたい、病院の人たちは“サプリメント”って言ってるけど、これは歴(れっき)とした薬なんだよ。お母さんの身体に必要なものなんだから」

「うー、それは、分かるけどさ……。でも高いんでしょ」
「そりゃ高いさ、何百万もするんだから、しっかり飲んで治してよ……」

入院・闘病が長くなるほど、薬代も嵩むという事を母は気にやむ。
しかし、私の冗談に声を出して笑ってくれた事に少し安堵し、この話はこれで終わったものと思っていた……。

二月八日(月)

歳をとれば年々徐々に衰えるは必然。誰もが辿る先だ。だから、本人も端もそれほど急には気づかない。けれど、母の病気はちがう。文字通り、昨日出来たことが今日出来なくなっているのだから、そのショックは甚(はなは)だこたえる。とりわけ、やはり本人は愕然たる不安に苛まれるのだろう。

昔、ある水俣病患者が、「だんだん自分の身体が、世の中から引き離されていきよるごたぁ気がするとです……」と、言った言葉が残されている。きっと、今の母の心境がそれなのではないだろうか。

子である私がどんなに苦しみを共にしたいと願っても、看護師たちがいかに献身的につくしてくれようとも、岸から離れていく小舟に乗っているのは母ただ一人……。

※本記事は、2020年7月刊行の書籍『ありがとうをもう一度』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。