③東京地裁判決に対する東京高裁の見解

しかしながら、死体の検案とは、既に述べたとおり、死因を判定するために死体の外表検査をすることであるところ、事実関係によれば、平成11年2月11日午前10時44分頃、C医師が行った死体の検案すなわち外表検査は、D子の死亡を確認すると同時に、D子の死体の着衣に覆われていない外表を見たことにとどまる。

異状性の認識については、誤薬の可能性につきH医師から説明を受けたことは、上記事実関係のとおりであるが、心臓マッサージ中にD子の右腕の色素沈着にC医師が気付いていたとの点については、以下に述べるとおり証明が十分であるとは言えない。

C医師が心臓マッサージを施している際、D子の右腕には色素沈着のような状態が見られた旨供述する検察官調書が存するが、それほど具体性のある供述ではなく、同時に、それをじっくり見て確認まではしなかった旨も供述していること、警察官調書においては、右手静脈の色素沈着については、病理解剖の外表検査のとき初めて気付いた旨供述し、原審公判及び当審公判においても同旨の供述をしていること、これに沿う証言があることなどに照らすと、C医師は、当時、右腕の異状に明確に気付いていなかったのではないかとの疑いが残る。

以上によれば、同日午前10時44分頃の時点のみで、C医師がD子の死体を検案して異状を認めたものと認定することはできず、この点において原判決には事実誤認がある。

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『未来の医師を救う医療事故調査制度とは何か』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。