ボサード少佐

次に意識が戻ると、知らない家の天井が目に入った。白い天井は、一メートル四方の正方形の木枠で、碁盤の目のような升目に区切られている。一つ一つの木枠の中には、色とりどりの鮮やかな鳥が描かれている。

「うっ」

辺りを見ようと目を動かすと、頭に激痛が走り、ボサードは声を上げた。次の瞬間、視界を遮るように、一人の男がボサードを覗き込んだ。男は笑っている。

「ユー・ルックス・ゲッティング・ベター(よくなっているようです)」

東洋人の男が英語でそう言った。男は覗き込むのをやめて立ち上がると、中国語で、そばにいる誰かに向かって何かを言った。

「あなたは、三日間、眠っていました」

東洋人の男はもう一度、ボサードを覗き込んで言った。男はゆっくりと丁寧に英語を話す。ボサードは黙って男の話を聞いた。

「気がついてよかった。きっとあなたの部隊が心配しているでしょう。夜になったら送って行きます」

男がもう一度、そばにいる誰かに中国語で話すと、今度は、年老いた白髪の男が、ボサードの顔を覗き込んだ。

「医者の鄭(テイ)先生です。あなたの怪我を診てくれました。鄭先生がいなければ、あなたは死んでいましたよ」

薄目を開け、自分を覗き込む白髪の老人を見たが、ボサードは声を出すことはできなかった。白髪の老人は、ボサードの瞼を指で大きく開け、ろうそくの光を当てた。

「ううっ……」

目の奥に激痛が走り、ボサードは唸り声をあげる。白髪の老人が視界から消えると、中国語で何かを言った。東洋人の男がそれに応じて、中国語で礼を言っているようだった。

「鄭先生が、もう眼球に血はにじんでいないので、失明することはないでしょう、と言っています」

男が医者の言葉を通訳してくれたようだ。

「これを首から下げて道に転がっていたら、あんな目にあっても仕方ありません。『中国人は豚』と書いてあります」

男はそう言うと、中国語が書かれたぼろぼろの布をボサードに見せた。布は血や泥で汚れている。男が布をボサードの視界から外して顔を出し、もう一度、笑顔を見せた。その時、男が着ている服が見えた。

「ううっ」

ボサードは驚きと全身の痛みで唸り声を上げた。男が日本海軍の制服を着ていたからだ。「一刻も早くここを出なくては」という衝動に駆られ、ボサードは体を起こそうとした。

「ううっ」

激しい痛みが全身を走り、自分では起き上がることができない。

「起きてみますか?」

日本海軍の制服を着た男が、抱きかかえるようにしてボサードの体を起こすと、楽に座っていられるように背中に枕を入れた。そして、男はベッドのそばにある椅子に座り、少し前かがみになって膝に手を置いている。

「ここはどこだ」

ボサードは全身の痛みが落ち着くのを待って、やっと声を出して尋ねた。

「日本海軍の宿舎だったところです。現在は中国人民軍が管理をしています」

男の答えを聞いても、ボサードには理解できなかった。

「君は?」

トン、トン

ボサードが尋ねた時、部屋のドアをノックする音がして女の声がした。

「とくまさん、……」

そのあとは中国語で、ボサードにはわからなかった。男は「ちょっと待って」という風に手で制し、立ち上がってドアに向かって行った。ボサードはもう一度、男の後ろ姿を見たが、間違いなく日本海軍の制服を着ている。肩章には複数の線があり、将校のようだ。ボサードは注意深く男の様子をうかがった。歳は二十歳そこそこだろうか。短く刈った髪のせいで若く見えるのかもしれない。痩せているが筋肉質で、背が高く、姿勢がいい。男がドアを開けて何かを受け取った。ドアを閉めようとすると、女がもう一度、この男に「とくまさん」と言って呼びかけたので、この男が「とくまさん」という名前だと分かった。白髪の医者も、この男に「とくまさん」と呼びかけていた。かなり後になって、日本人が相手を呼ぶとき、敬意を払うため、名前のあとに「さん」をつけることをボサードは知った。

ベッドのそばに戻って来た「とくまさん」が手にしていたものは、ハンガーにかけられたボサードの制服であった。

「あなたの制服を洗ってもらいました」

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『コール・サック ―石炭の袋―』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。