著者がこの諏訪大社に出かけたのは、2004(平成16)年7月19日であったから、もう15年も前のことだ。全くの興味本位の旅で、後年、ユダヤ関連の本を書こうなどとは、夢にも思わなかった。本当に、人生は分からないものである。

物語の骨格はもちろんであるが、地名や人名などの類似にも驚く。

[図3]前宮の御神体における御頭祭と「アブラハムとイサクの物語」の比較

故郷ユダヤにおける、屈辱の「バビロン捕囚」から約600年が経過したあと、ユダヤ系渡来人の先駆けとして、一団のユダヤの民が、ここ諏訪に移って来たのである。

信じられないほどの執念・情念、また唯一神への信仰を懐いて、東周りの道を選んだユダヤ教徒たちであった。彼らをユダヤ教徒としないと、先のアブラハム・イサク物語が、ここ諏訪で行われていることの理由が付かない。

しかし後続のユダヤ系の武将建御名方が、出雲からこの諏訪にやって来た。先に土着していた洩矢神との力比べが行われた。

ここでも④ユダヤ系同士の戦いとなって、結果は洩矢神が負けて、一歩退くかたちで現在の神長(じんちょう)守矢家の祖となったのである。勝った建御名方は、堂々と諏訪大社のご祭神になっている、と言いたいが、実際はそのあとの国譲り戦で、崇神軍の武将建御雷に敗れた結果、この諏訪大社に祀られることになったのである。

以上のように①から④まで、ユダヤ系同士が戦う構図に変わりのないことを見てきた。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『ユダヤ系秦氏が語る邪馬台国』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。