第1章 ヒューマンエラーはなぜ起こる

5、具体事例

〈事例3;不安定な器具の移送〉

あなたは、ある会社の研究部署に所属しています。そこでは、溶液中に溶け込んだある成分の分量の測定(成分評価)を行うため、メスフラスコ(写真1参照)というガラス機材をいくつも使い実験を行っていました。

[写真1]メスフラスコとバット

調べたい液を一定量取って、メスフラスコに入れそれを純水で薄め(化学用語では、これを希釈と言う)ます。希釈倍率が少しでも異なると正確なデータが得られないので、全てのサンプルを同じ手順で、同量のサンプルを採取し、量を違えることなくメスフラスコで希釈するのです。従って、実験ではいくつものメスフラスコを使用します。

更に調整したあとのメスフラスコを移動させるのに、アルミ製のバット(写真1参照)を使い、その上にいくつか並べて液を希釈調整する実験台からメスフラスコ中の成分量を測定する場所に運びます。

しかしながら、なぜかこの使用しているバットは、底が少し歪んでおり、メスフラスコを並べたとき安定が悪くグラグラと揺れるため、移動するにはかなり不適切な代物でした。

その職場には、同じ作業を行うメンバーがいて、1つのセットを数名のメンバーが共用すると共に、調整台から測定器まで運ぶ作業を全員が行っていました。測定は毎日行うのではなく、普段はサンプル作りや、下準備の実験を行っていました。しかし、ほぼ毎日、メンバーの誰か1人か2人がその測定作業を行うという状況でした。

そうです。メンバーの全員が、安定の悪いバットの上にメスフラスコを乗せ、移動する距離は10m程度ですが、通路も実験台の上もさほど整頓が行き届いていない(どちらかと言えば乱雑な)状態の中で、不安定なサンプルを運ぶ作業を毎日繰り返していました。

そしてその作業を行う時には、誰もがこう思っていました。「自分以外の誰かが、必ずメスフラスコを落とすか、さもなければ倒して割るに違いない。しかし、自分は絶対に割らないぞ!」と。

結局、あなたはその部署に2年間在籍していましたが、その間一度もメスフラスコは割れませんでした。全員が毎日日替わりで作業を行っていました。ほぼ毎日アルミバットを使ったメスフラスコの不安定な移動が繰り返されていたにもかかわらず、一度としてメスフラスコは、ただの1つも割れなかったのでした。

【検討のポイント】
この事例では、事故は発生しませんでした。しかし、事例の中には、問題がいくつかあります。更には、事故を防止するための参考となるポイントが、1つ含まれているように思われます。