12 夏に想う

私の幼い頃は、まだ冷房もなく、夏はことのほか暑かった。

夏休みになると、家族で神奈川県の葉山に海水浴に出かけた。海岸で食べたイチゴやメロンのシロップがかかったかき氷の、冷たくあまい味が忘れられない。あの夏の日々を思い出すと、なぜか郷愁にかられ、心がなごむ。

夏といえばお盆の行事。地方の人びとは、それぞれ都会から故郷に帰り、日ごろめったに会うことがない近しい親戚と先祖の霊を迎えることになる。

八月十三日はお盆の入りで、迎え火。宗派によっていろいろだが、火を灯して亡くなった近親の人びとを迎える。その火の煙に乗って、亡くなった方々の霊がこの世にお帰りになるのだ。そして、生前お好きだった野菜や果物を蓮の葉やお皿の上に乗せたりしてもてなし、三日間を一緒に過ごす。

十六日には送り火を焚く。その煙に乗って、霊はまたあの世にお戻りになる。翌年も再びお会いできるのを楽しみにしながら。

こうして日常の生活から自分自身が解き放たれ、来し方を振り返るゆとりを感じる、その瞬間は得がたいものだ。

無事に生きることのできるありがたさを、しみじみと感ずるお盆は、日本の自然と通じ合うものがあるような気がしてならない。厳しい渓谷、豊潤な平野、四季の移り変わり……。海に囲まれた日本列島は独特の文化を生み出す。

厳しさの中にある、悪いことをすると祟りがあるという戒め。悪霊にとりつかれ、恐ろしい想いに心が苛まれるという末法思想の話は、平安時代から人びとに語り継がれてきたといっていい。能楽の中には、悪霊や幽霊を主人公にした祟りの物語が数多くある。それは、日本人の心から心に伝えられた内なるものなのだろう。

日本の人びとは、仏教、神道、キリスト教とを調和して精神の中に取り込み、心を救済し、幅広いやさしさを宿した。

七十三年もの間、戦争の体験がない平和な日本。貴重な〝お盆の行事〟を過ごす時、ほかの国は今どのような状況にあるのかを考えると複雑な気持ちになる。それは日本人の本当のやさしさから生まれる感情なのだろうか。

※本記事は、2018年11月刊行の書籍『世を観よ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。