トイレの中に押し込められました。そして、あの忌まわしいムシケラ同然の扱い(これは私にも言葉にできない悲しいこと)を受けたのでした。

ビショビショになって、その上蹴られ殴られても逃げられない。逃げようともしないのですが……。

私という実態がなく、何も感じさせないように心が働いていたとしか思えません。謎のような私でした。

この屈辱的な出来事に、心の奥底では、「一寸の虫にも五分の魂」というのか、そんな気持ちが心の中に沸々とたぎるように湧き始めていました。その姿ではどこへも逃げられません。

汚れたセーターを風呂場で洗い、ヒーターで乾かそうとしましたが乾きません。長男のセーターを借りました。

この時にあった事実は、今までのどんな出来事などよりも悔しくて、心の奥底に大きな痛手となり、強烈な秘めた傷となりました。この辱め、誰にも話したくない。これが、今ある決定的なわだかまりとなったのかもしれません。

飲まない時には優しさを見せます。また、子供たちには優しい一面を持っていて、子供たちも父親には逆らいません。逆らったら何をされるかといつも「怖さ」を感じ取っていたのかもしれません。

罪滅ぼしの旅行には何時もついて来ましたが、決して喜べる楽しいものではなかったと思います。

いつも「怒らせまい、不機嫌にさせまい」と顔色を見ている母親と一緒です。楽しいわけがありません。