人種差別撤廃は、スタートラインに過ぎない――。
黒人の地位向上に腐心する2000年代の南アフリカ。人材の多様化と成長への隘路に挑む、ある商社員の物語。総合商社に勤める高倉は、子会社であるマキシマ社の再建を担い、社長として南アフリカに赴任する。人種隔離政策(アパルトヘイト)廃止から十年。そこで目の当たりにしたのは、格差と人種差別のない理想の社会の実現には程遠い現実。業績回復途上の会社に突きつけられる政府からの命題。それは、私企業に黒人の資本参加や管理職登用などを事実上義務付けるものであった。
2019年ラグビーW杯優勝国・南アフリカの葛藤から世界のリアルを描く、社会派ビジネス小説を連載にてお届けします。
そこは中東のパリと呼ばれた街に相応しい賑やかさときらびやかさを取りもどしていた。平和そのものに見えた。
ハムラ・ストリートをぶらぶらとして、通りから細い横道へ少し入ってみると、飲み屋街のネオンがキラキラと輝いていた。これも他のアラブ国には見られないベイルートらしい光景だ。
二人はそのネオンに吸い寄せられるように一軒のバーに入った。
中に入ると、店は広さ八畳位の狭い薄暗い空間に、Jの形をしたカウンターがあるショットバーであった。カウンターの中には二人の男が立っていて、奥にびっしりとウイスキーやリキュールの瓶が並んでいる。
テーブル席はなく、カウンターに先客六人の背中が並んでいた。一様に肘をつけて飲んでいる。
内一人は女性客だ。
カウンターの右端が空いていたので、一番端に高倉、その隣に大河原が立った。
二人共奮発してコニャックをオーダーした。
カウンターの中にいるバーテンダー二人の内の一人は普通の身体だが、もう一人はかなり体格がいい。一八五センチ位の上背で、肩幅が広くがっちりとしている。黒の長髪が縮れていて、すそがはね上がっている。
大河原がそのバーテンダーに話しかけた。
「あなたはいい身体をしてるね。なにかスポーツやってるの」
「はい、空手をやってます、あなた方はヤバーニ?」
日本人か?と、グラスを磨きながら逆に聞いた。
「そうだ、ヤバーニだ」
「日本人なら空手はモンケン(出来る)でしょう、今度教えて下さい」と言った。
中東の人達は、日本人は皆空手が出来ると思っているようだ。
「はい、今度空手を一緒に練習しましょう」
と大河原は冗談っぽく言いながら、急に真顔になって、
「ところで、この内戦は終わったの?」と聞いた。そのとき時刻は午後八時頃だったと高倉は記憶している。
「いや、まだ終わっていない。実は今夜も状況はあまり良くないようなので九時には店を閉めるつもりだ」
バーテンダーは暗い目を伏せて答えた。
※本記事は、2020年9月刊行の書籍『アパルトヘイトの残滓』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
【主な登場人物】
高倉譲二 マキシマ株式会社社長 七洋商事より派遣
アンネマリー 同社社長秘書
アンドルー・レクレア 同社カンパニー・セクレタリーのちに社長室長
ピート・ダン 同社倉庫係のちにケープタウン店長補佐
秋山峰雄 同社社長室長 七洋商事より派遣のちに経理財務ダイレクター
斉藤和夫 同社技術ダイレクター ニホンタイヤより派遣
シェーン・ネッスル 同社周辺国担当マネージャー
ケニー・ブライアント 同社前社長
ロッド・モーロー 同社管理担当取締役
トニー・コッペル 同社経理マネージャー ジンバブエ撤退担当
バート・グッドマン 同社販売担当副社長
ピーター・マステン 同社株主ポート・エリザベス在住
ザリレイ・マゲス 同社新株主代表 マゲス・エンジニアリング社社長
ジャンポール・ゲタン 同社ケープタウン店長
ポロ・マルハン ブラック・グリップ社(BG社)社長
ピーター・コナー ブリット銀行CEO
クバネ氏 ジンバブエ元外交官 現ANCメンバー
佐々木氏 TM銀行駐在員事務所所長
山川取締役 七洋商事東京本店
亀川常務執行役員 七洋商事東京本店
鈴本専務執行役員 七洋商事東京本店
風間部長 七洋商事物資本部
高倉洋子 譲二の妻
【前書き】
本作品内に差別的な発言や表現がありますが、二〇〇〇年代の南アフリカを舞台にした作品のテーマを損なわないようにしたものであり、差別意識を助長させようとするものではありません。