再起を賭けたのですが、残念ながら、彼の身心はお酒に蝕まれていました。アルコール依存症の症状に振り回される状況は変わらず、むしろドンドン深みにはまっていきました。子供たちには部屋ができたので、その後も続くいろいろな出来事が起きた時は、直接目に触れないように『部屋から出ないよう』に言い聞かせ、虚しい努力をしていました。

⑤ アルコール依存症では?

両親のやりとりや、漏れ聞えてくる物音は、子供たちの心にどのように響いていたのでしょう。感じないように心を閉ざしていたのかもしれません。彼のお酒の飲み方の異常さに、「アルコール依存症ではないだろうか」と思い始めてから、既に数年が過ぎていました。

昭和六十一年春のことです。「アルコール依存症は家族の病」という記事を、東京都の広報誌「東京の女性」の中に見つけた時、「本当だ! まさにそのとおり!」と、私の脳裏に強く記憶に残りました。彼の症状は間違いなく依存症であり、私は共依存(注※)であり、家族の病であると確信したのですが、なお、その後約十年の歳月を苦しみ続けるのです。

(注※ 依存症のひとつで、特定の人間関係に依存することで、依存症者を支えることに依存している)

私は、以前から日々のことを日記代わりに、家計簿の余白や小手帳にメモしていました。その頃にはメモを、彼が時々捨てるようになっていました。捨てられて記録はありませんが、昭和六十一年だと思います。