その七 家族病

彼が膵炎で十数回入院を繰り返したことについて綴ります。

④ 再起をかけて

昭和六十一年春、同じ町の駅前に、日本住宅公団(後に住宅・都市整備公団、都市基盤整備公団、現・独立行政法人都市再生機構)の分譲マンションの公募があり、「モデルルームを子供たちと一緒に見て来い」と彼に言われて出かけました。子供たちも新しい家に住みたいと言うのです。

どうせあたらないだろうと思い、「申込書」とアンケートを記入して帰りました。その結果の通知を受け取ると、何と、何十倍もの倍率の中で、幸運にも当選したのです。私の引いたくじは、トランクルームも引きあててしまったのです。

資金面では二人でローンを組まなければなりません。借金を背負い込むことになります。少しばかり躊躇もあったのですが、「当選したのは何で? 出直せる機会なのかな?」心機一転、生活を変えれば何とか変わるのでは、住居環境を変え、住宅ローンを組めば、少しは考えて生活を見つめ直してくれるだろうと、淡い期待を胸に思いを馳せ、子供たちの喜ぶ姿を見て希望を託し、転居したのです。