第1章 医療

リビングウイル

ずっと以前のことです。それを手渡した患者さんもその後認知症になられ、90歳を過ぎて亡くなられました。

「何かあった時延命は望みません」。手渡された紙にはそう書かれていました。

「いいかげんに死にたいと思っても、生きられますから、なんて生かされたんじゃかなわない。しかも政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うとますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと」。社会保障制度改革国民会議でのA副総理の発言が新聞に掲載されていました。

「公の場の発言としては適当でない部分もあった」と、その後この発言は撤回されたようですが「私がその立場だったら」という前置きがあれば良かったと思います。同会議でA副総理は「残存生命期間が何か月かだと、それにかける金が月に一千何百万円だという現実」とも発言されたそうです。

医学部での修学中、医師は「目の前の患者さんをどうすれば病から救えるか」を学びます。究極の目的は言うまでもなく「救命」です。

かつて蔓延していた赤痢、チフス、コレラあるいは結核などに代表される感染症や、化石医師の専門である消化器では、潰瘍による出血や穿孔など、命を失うことに直結する病気も珍しくはありませんでした。そんな危険を乗り越え、治療により治癒された方は再び社会に復帰され、発症前と同じ生活を送ることが当たり前でした。言いかえれば病気の治癒は社会復帰を意味していました。