ニュースを聞いていたスタッフが、
「銃撃戦が起きた。詳細は確認できていないが、しばらく動かない方が良い」
と言った。

中東総支配人室から日本大使館にも確認をいれているらしい。ここはしばらくじっとしているしかない。

外で銃声は続いている。ピストルのパンパンという乾いた軽い音と、マシンガンらしいバリバリバリと少し湿った重目の連続音が交互にアンサンブルのように聞こえる。

ローカルスタッフはラジオをつけっぱなしにして聞き耳をたてながら、電話で家族と連絡をとったり、知り合いからの情報を収集している。

皆、何が起きたのか理解できないままに、それぞれ窓からできるだけ離れたところで成り行きを見守っていた。

そうしているうちに、ローカルスタッフのジョンが、情報をつかんだらしい。

「聞いてくれ。私がつかんだ情報では、クリスチャンとムスリムの間で紛争が起きたらしい。今日、私たちクリスチャンの居住区であるアインルマーネがムスリムのコマンド(奇襲部隊)に襲われた。それとほぼ同時に、南レバノンのサイーダ他数か所で衝突が起きたとのことだ。今回の事件は従来のように、イスラエルからの侵攻とか、イスラエルとパレスチナの衝突とは違って、レバノン人同士のくだらない宗教争いのようだ。私の家族はアインルマーネにいるからとても心配だ。このオフィスのまわりも安全ではないようだから皆早く逃げた方が良い。海岸方面は比較的安全らしい」

と、説明した。

ジョンはレバノン人クリスチャンで、販売促進や渉外を担当。少しそそっかしい所があるが、仕事は確実にこなしている。

すると、いつものとおりケントを吸いながら、新聞を読んでいた運転手のナギーブが、ジョンの話を聞いてするどく反応した。アラビア語での言い合いだからわからないが『日本人の前でレバノン人同士のくだらない宗教争い、とか言うな』と抗議したようだ。

レバノンが一九四三年にフランスより独立した際の国民協約で、大統領はキリスト教マロン派、首相はムスリム・スンニ派、国会議長はムスリム・シーア派からと決められた。また、閣僚および国会議員数もマジョリティーはクリスチャン、ムスリムはマイノリティーと設定された。これは一九三二年に実施された国勢調査での人口比率によるポスト配分だったそうだ。

しかしその後、クリスチャンよりムスリムの方が人口増加が大きく、いつしかこの人口比率が逆転してしまった。ムスリムは以前から、三十年も前に決められたレバノン憲法が現在の実態とあっていない、実態にあわせて、ムスリムに政治の主導権を渡すべきだ、と主張している。にもかかわらず、クリスチャンがいつまでも政権にしがみついているから、国がおかしくなっているのではないか、というのがナギーブの意見らしい。