外国対策 徳川のための鎖国

私:次は家康の外国対策を語ろう。基本的な考え方は家康=金日成かな? 家康も北朝鮮の金日成も政権の永続のために鎖国する。「徳川のための鎖国」=「金のための鎖国」だ。

N:鎖国は家康ではなく家光では?

私:鎖国を決断したのは家康で、オランダ船リーフデ号の漂着が契機だ。ヤン・ヨーステンから家康は領土的野心のないプロテスタントの存在を知り、侵略的な意図を持つポルトガル・スペインのカトリック宣教師の排除を決断した。そして家光が家康をパワーアップして、キリシタン弾圧政策に舵を切ったのだ。

N:映画『Silence』(マーティン・スコセッシ監督)みました。遠藤周作『沈黙』の世界は、小学生のときに家族旅行で長崎の教会をいくつか訪ねたことがあります。

私:本能寺の変による信長の死と徳川の鎖国。この不幸な出来事のために、日本は西洋に追い抜かれ、ついには弱小国家に成り下がってしまった。

N:弱小国にですか?

私:こう考えてみよう、作蔵君。金日成は1948年に首相、1972年からは国家主席を務めている。金王朝つまり北朝鮮の鎖国は50~70年。われわれは現在の北朝鮮の惨状を知っている。しかるに徳川の鎖国は1639~1854年、すなわち215年、なんと北朝鮮の3~4倍もの長きに渡ってわれわれは国を閉ざしてしまっていたのだ。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。