お陰で、腰のわるい母も長い坂と階段を登らずに絶景を賛嘆でき、この地に生まれ青春をすごした瀧廉太郎のブロンズ像を眺めながら……♪春高楼の花の宴……と、鼻唄を歌いひどくご機嫌であった。

長崎では、原爆資料館の展示に涙し、いつか行きたいと話していた“ナガサキ・ピース・ミュージアム”や“グラバー園”も訪ねた。さらに、取りわけセツコは良い温泉場を沢山知っていて、“小浜”“山鹿”をはじめ、行く先々の湯につかり、その湯釜で蒸して食べた芋やトウモロコシの旨かったこと……。

あれはきっと、母も忘れていないだろう……。

それから、霧島の山中で台風の眼の中に見た美事(みごと)な夕焼け雲……。たった一年半前のことが、つぎつぎ懐かしく思い出される。

「またこっちに来るようなら見舞いに来させようか……」
「見舞いになんか来なくていい。気つかわせちゃうから……」
「そんなの気にすることあるもんか。あいつはいつだって、“フーテンの寅さん”みたいにフラッと現れて気まぐれにいなくなるだけなんだから……」

正しいことばかりが正しいわけじゃないのに……、どうしても彼女はそれを知ろうとせず、いつのまにか人を傷つけてしまう癖があった。でも、私は待とうと決めていた。

「わたしはずっと変わらない」と言った彼女に、「変わらない人間などいない」と、断言したから。けれど、去年の夏がおわったとき、「じゃぁまたね……」と、手をふったきり音沙汰はなくなり今に至っている。もしかすると、もう来る事はないのでは……と、私は半ば気づいている。

幼い頃、母親に子守唄を歌ってもらったことなど一度もないと言っていた彼女だが、なぜだか母の鼻歌を横で聴くのを好んでいた。セツコは私との縁で現れた女なのではなく、母のために不意と降りてきた、いたずらな天女だったのかもしれない。

[写真] 2014年、佐賀・吉野ヶ里遺跡にて
※本記事は、2020年7月刊行の書籍『ありがとうをもう一度』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。