「叙達(シュター)さまに買っていただいたのですから、叙達(シュター)さまに、お仕えいたします。ですが、一つだけ、のぞみがございます。いずれは、父母のもとへ、帰してください」

「わしに仕えるなんてことは、考えなくてよい。きっと、両親のもとへ、帰してやる」

曹洛瑩(ツァオルオイン)は、はじめて、うれしそうな笑顔をみせた。
さあ、どうすれば、この子を守ってやれるだろうか?

人売り商人は、こちらが漁門の人間だとたしかめて、声をかけて来た。私があそこにいなかったら、段惇敬(トゥアンドゥンジン)あたりが、この娘を買ったのだろうか? それならば、今ごろ、手に入るはずだった『朱雀』を、さがしているかもしれない。

この娘を、漁門の目にさらすのは危険だ。あそこはヒモつきの飛蝗(バッタ)がうようよしている。自分の塒(ねぐら)に連れ帰れたとしても、管姨(クァンイー)がみのがすはずはない。

どこかに、かくまう場所はないか?

曇明(タンミン)師のいる、大千佛寺(だいせんぶつじ)はどうか? あそこなら、きっと、うまくかくまってくれるにちがいない。たび重なる出血で、激痛にうめく私を助けてくれたときのように。

曇明(タンミン)師は、厳嵩(イエンソン)邸で歌舞を鑑賞したとき、父親と一緒に寺をたずねて来たことがあると言っていた。とすれば、大千佛寺は、この子にとっても、まったくなじみのない場所ではない。

私は、あざの浮かんだ、白い手をとった。
曹洛瑩(ツァオルオイン)は目をみひらいて、感電したかのように、ふりほどいた。

「す……すみません」
自分のしたことが、信じられないといったふぜいであった。

「あー、……ああ」
私も、間のぬけた返事を、かえした。

四つの眼が、合った。

「そなた、大千佛寺(だいせんぶつじ)に、行ったことがあるか」
「え……はい、春に、父と参拝いたしました」

「わしの塒(ねぐら)へ連れてかえったら、たいへんなことになる。でも、あそこなら、わしの命の恩人もいるし、きっと、そなたを守ってくれるだろう。どうだ、大千佛寺へ行って、ここにいたったいきさつを話してみないか」

「……叙達(シュター)さまが、そうおっしゃるなら」
「では、参ろう」
「はい」

曹洛瑩(ツァオルオイン) が、さきほど引っ込めた手を、おずおずとさしのべて来た。 私は、ことの意外さにとまどいながらも、その手をにぎった。温かくはなく、どちらかといえば、つめたい手であったが、羽根のような繊細さと、しなやかな弾力を感じた。この手が、笙(しょう)のかなしい音色とともに、花の軌跡をえがいたのだ。

この宝物を、守らねば――と、ほぞをかためた。

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『花を、慕う』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。