今まで生きてありつるは 〈『御書(一一六五頁)』〉

「伝えたい事実(できごと)の真実(こころ) 」~喜びと悲哀

④ 育っていない

昭和五十四年五月です。次に妊娠した子は三カ月で流産しました。

泡のような状態で胎児を包むための袋ごと出てきて、全く育っておりませんでした。

主治医は、「親も年を取ってくると、卵子も精子も中にはできの悪いのがあって、上手く育たないこともある。自分で出てきてしまうんだよ。あなたは自分のことを責めなくていいよ」と優しく慰めてくださった言葉が、私の心を少し楽にしてくれたのでした。

⑤ 自分を責める

昭和五十六年二月。私はもう一人子供がほしいと思っていたので、今度こそ産みたいと思いました。

その頃には、彼のアルコール依存症の症状もかなり進んでいたのでしょう。「産んでも俺は面倒見ないし、協力もしない」と言うのでした。妊娠させておきながら……と心の中で呟き無性に悲しくなり、悩み苦しみ哀れでした。

私自身の心の中でも、「もしかしたら、また……」という気持ちが、浮かんでは消えまた浮かびます。次男は目に障害がありました。次の子は全く育っていませんでした。不安が心を覆います。もし何かあったら一人で育てられるだろうかと、自信がありませんでした。怖かったのです。諦めて、哀しい選択をしてしまった私でした。