天才の軌跡⑥ チャールズ・ディケンズと悪の萌芽

この小説には多くの挿話が入れられているが、これらの大部分は父の喪失を描いている。アルコール中毒のために譫妄(せんもう)状態となり子供と妻を残して死んでゆくパントマイム役者。流刑地から帰って、母親が亡くなっていることを知り、その昔、彼と母親に暴力をふるっていた父親を扼殺(やくさつ)する男の話。

義理の父のために債務者監獄に入れられているうちに妻と子供を失った男が、自分の父が死亡してはじめてその遺産で出獄し(この実の父もまた、生前は充分な余裕があったにもかかわらず、彼の借金を払ってやらなかったという設定になっている)、養父の子供が溺死するのを助けないで復讐し、これでもあきたらずに義父を債務者監獄に送り込もうとし、それを自身で義父に知らせショック死させる話。これらの挿話は、不完全な、あるいは、悪質な父親像に対する怒りの表明である。

スティヴン・マルカスは、『ピクウィック・ペイパーズ』の「あとがき」の中で、ピクウィック氏はサム・ウェラーにとっての理想的な父親像なのであると言っている。私はピクウィック氏が父親を象徴しているという点については全く賛成なのであるが、ピクウィック氏が理想的な父かどうかという点については非常な疑問を持っている。

ピクウィック氏が善人であることについては、この小説を読んだ人は何らの疑問も持たないであろう。しかし、彼が世知にたけた人間で、ピクウィック倶楽部のメンバーおよび、サム・ウェラーを世間の荒波から護ることができるかというと、否、としか言えない。

あからさまに言うと、彼の行動は失敗の連続で、サム・ウェラーに助けられることによってなんとか威厳を保っている有様なのである。にもかかわらず、サム・ウェラーにとっては理想の父親像でありうるのは、彼の父親、トニー・ウェラーとの対比においてのみ可能であると言えるかも知れない。

この小説の終わりになってはじめて、ピクウィック氏は若い頃に実業家として富を得たことがわかるのであるが、この小説を読んだ人は、この失敗つづきの人物がいかにして実業家として成功したのだろうかと不思議に思うに違いない。ここにピクウィック氏のふがいなさを挙げてみると、登場早々、旅籠屋に着くや否や、御者が引き馬の馬齢を四十二であると白々しく嘘を言うのを真にうけて珍奇なことであると手帳に書きつけていると、御者は氏を密偵か何かとまちがえ、眼鏡をはたき落とし、鼻と胸をしたたかに打つのである。

冒頭からこのような災難に会うピクウィック氏は、この小説の主題を明確に示している。すなわち権威の凋落である。

このテーマは執拗にくり返される。ピクウィック氏は、詐欺師のジングル氏にみごとにだまされて、雨の中を女学校に夜しのび込み、もの笑いの種となり、雨に打たれた彼はリューマチに苦しむ。さらに彼が歴史的発見と思った文字が彫られた石は、ビル・スタンプという村の住人が気まぐれに作ったものだとわかり、スケートにゆくと氷が割れるという始末。別のエピソードでは他人の地所に入ってつかまえられ、辱めを受け、ついには室を借りている下宿屋のおかみに婚約不履行で訴えられ、債務者監獄に入獄させられることになるのである。

これに対して子の象徴であるサム・ウェラーは、八面六臂の大活躍をしてピクウィック氏を助けている。サムは彼の主人が失敗をくり返すにもかかわらず、この大変な主人に忠義を尽くす。ピクウィック氏が出獄できるのは、サムの尽力によるもので、これなしに氏が出獄できたかどうかは非常に疑問である。

※本記事は、2019年6月刊行の書籍『天才の軌跡』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。