七洋商事は港のフリーゾーンでそのベンツ大型トラックへのニホンタイヤの装着を請け負っていた。

足なしから、ニホンタイヤという強い足をつけた大型トラック群は、港を出てサウジアラビアやクエート、イラク、UAE、オマーン等々の国々へ向けて、続々と長距離を自走して行った。

くそ暑い国々の走行で、ニホンタイヤはその耐久力をいかんなく発揮し、人気抜群の売れ筋商品となっていた。

七洋商事は、ベイルートから来たベンツ大型トラックの最終到着国それぞれにも駐在員オフィスを構えていた。現地の運送会社や運輸公団へ常時コンタクトして、取り換え用タイヤなどのビジネスを獲得するためである。

ベイルート港からの出口と最終到着顧客への入口の両方を押さえていた訳だ。

空前のオイルブームで世界中からアラブ圏各地へ訪問者が殺到したので、この頃の中東各地への出張ではホテルの確保が困難を極めた。

日本その他からのメーカーを中心とした出張者のために、七洋商事はゲストハウスを設営したり、場合によっては、駐在員個人の家に出張者を宿泊させたりもした。これも当時の重要な商社機能の一つとなっていた。

こうして中東全体がお祭り騒ぎに沸いているさなかに、突如レバノン内戦が勃発したのである。

七洋商事ベイルート・オフィスは、リヤドソルフ広場の一角のビルにあり、その五階に物資部はあった。

リヤドソルフ広場は、地中海側の高級ホテルやオフィスビルが立ち並ぶ地区とダウンタウンのごみごみした所のちょうど境目あたりに位置していた。

だからダウンタウンとオフィス街を往き来する車や人々で、広場は終日混み合い、クラクションやどなり声などが、ビルの上階まで響いてきていた。

高倉が着任して一カ月後の四月一日、オフィスには大河原と高倉がローカルスタッフ三名と共に勤務していた。中川は周辺国へ出張中であった。

午前十一時ごろ、喧騒がピタッとやみ、不思議な静寂が訪れた。
なんだろう?と窓際の高倉は窓をあけ下の広場をのぞいてみた。
場から全くこつぜんと車も人も消えていた。

「あれ、何か変だなあ」
と、彼が声をあげると同時に、パンパンパン、バリバリバリバリと爆竹かかんしゃく玉のような音が鳴りひびいた。

ローカルスタッフが、
「ミスター・タカクラ、すぐ窓を閉めてこっちへこい」
と言いながら、自分たちも窓側から離れて中央から内部側に寄った。

何が起きたのかさっぱりわからない。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『アパルトヘイトの残滓』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。