昼の散策

廃屋の裏手に奥山へ登る小道があった
かつては村人がたまにそこを通っていた
人ひとり歩くのがやっとの小道
今は雑草が生い茂り
道というよりは藪に近い
猪ですら猛進できない獣道

しかも
藪に入ってからいっときほどの行程には
イノコヅチやオオモミなど
衣服に土産を残す野草が妙に多かった
顔に困惑が溢れ出たりするとすぐにも引き返したくなるので
淡々と作業をこなす実直な野ネズミのような顔で
自分はそれを踏み越えていく

だが
そのまた少し先には
イバラやタラなど棘のある細い低木が
防御壁か何かのように密集していた
いや 防御壁というと壁のような「面」を想像するが
そこは「面」というよりも「空間」の規模で
手の込んだ罰ゲームのように生い茂っていた

ここで
頻繁に通う道ならば
一度草刈りでもすれば楽になったのではないか
と考える人がいるかもしれないが
私はそれをしなかった
なぜかというと 誰んちの山か分からなかったからだ!
立つ鳥跡を濁さずではないが
出来る限り自分の痕跡を残さないというのは
この数か月のテーマのひとつでもあった
だから
かつて生前の祖父が農機具置き場として所有した廃屋に寝起きはしたが
それ以外の場所は
一人の旅人として ただ通り過ぎる場所として接した
荒れ放題の山道を多少綺麗にしても
おそらく誰にも文句は言われなかっただろうが

この山への散策が日課になり始めた晩夏の頃
背丈ほどもあるトゲトゲの木が
幾重にも塞ぐ道を歩いていて
なるたけ被害を最小限に抑えようと
半狂乱であちこちを彷徨しているうちに
いつのまにか四方をトゲトゲの樹木に包囲され
泣き出す前の小児のような顔で立ちすくみ
樹木の隙間に垣間見える小さな三角の空を静かに見上げ
そのまましょんぼりしている自分を何度か見かけた

閉所恐怖症ぎみの私は
前後左右どこにも動けなくなった空間の中で
人は日頃「適度な大きさの空間」や
「空間と空間を繋ぐ手頃な通路」のみを
行き来しているものなのだなと妙に感心したりした

その後 山頂にかけての道程も
大人の胴体ほどもある古木が何本も倒れていて
あるかなしかの小道を塞ぎ
滑りやすい腐りかけの樹木の上を
臆病なうさぎのように慎重に飛び跳ねていくより仕方のないところなど
なかなかに飽きの来ない天然の趣向が随所にほどこされていた

こうした
野生版フィールドアスレチック(上級者用)のような行程を
ほぼ日課のように私が散策した理由のひとつには
わたしのM気質があるのかもしれないが
おそらく最大の理由は
その山道の先にある山頂近い辺りに
前半のマイナスを引いても
あまりある景観が待っているからだった

※本記事は、2020年8月刊行の書籍『静寂の梢』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。