製鉄技術をめぐる争奪戦にこそ、吉備戦の真相があった。だから温羅は吉備に製鉄関連産業を持ち込んだ人物、多分出雲系の首長クラスであったと思われる。彼の名前にも、出雲系が見てとれる。

HUTU(布都)→HURU(布留(饒速日))→ (H)URU→URA(温羅)  

天孫降臨のときばかりか、出雲が倭国に覇権を確立する以前にも、ユダヤ系の人々は海を渡っていた。その証拠が、諏訪湖の畔にある。洩矢(もりや)神にまつわるお話が、アブラハムとイサクの物語に類似しているからである。第一作から、その該当部分を引用する。

菅江真澄の『すわの海』から、その「御頭祭」の部分を引用することにする。癖のある読みづらい文章ではあるが、江戸時代後期に実際に観察された「御頭祭」の記録であり、民俗的資料としてもたいへん貴重なものであるので、慎重に取り扱う必要がある。検討項目ごとに、「御頭祭」とアブラハム・イサク物語とを比較してみる。しかしその前に両者の簡単なあらすじを記述して、比較の準備をしなくてはならない。比較のもとになる、『創世記』の方から見ていくことにする。

遅くからできた幼子イサクの成長ぶりを喜ぶアブラハムに、神は試練を与える。「あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭(はんさい)としてささげなさい」というのが、神からの指示であった。

燔祭に捧げるため縛ったイサクを祭壇のたきぎの上に載せ、まさに刃物でわが子を殺そうとしたとき主の使いが天からアブラハムを呼んで、「わらべを手にかけてはならない。(中略)あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」と告げた。アブラハムが見ると、やぶに角を掛けた雄羊がいたので、わが子の代りに燔祭として捧げた。

これが、アブラハムとイサクの物語の要旨である。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『ユダヤ系秦氏が語る邪馬台国』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。