第二章 渡来人に支配された古代ヤマト

複数回にわたるユダヤ系の分散渡来

崇神の渡来と出雲との国譲り戦は、230年代の出来事であった。この一つの戦いが、天孫降臨神話の中で三分割された事情は、既に何回も述べた。しかしこれらの分割された戦いが、それぞれユダヤ系同士の戦いであるとは、前著までの認識にはなかった。以下の①から④は、そんな戦いの素描である。

①天孫神話の最初に登場するのが、ニニギの露払いとしての建御雷神である。彼が出雲国を平定するのだが、そもそも出雲は、ユダヤ系首長が支配する国であることを前著で証明した。そして建御雷神も、ユダヤに特徴的な「HUTU」をその名前に持っている、れっきとしたユダヤ系の武将であったから、これはユダヤ系同士の戦いであった。

次に建御雷之男(たけみかづちのをの)神。亦の名は建布都(たけふつの)神。亦の名は豊布都(とよふつの)神。

②国譲りの次の局面である対ヤマト戦では、天孫側の主人公は神武、出雲側は饒速日であった。神武の和風諡号である神倭伊波禮毘古(かむやまといはれびこの)命には、「YA―UMATO」=「神ヤハウェに選ばれし者」という意味があり、さらに后のお名前「富登多多良伊須須岐比賣(ほとたたらいすすきひめの)命」にも、ユダヤを示す「HOTO」が付いている。

「HOTO―TATARA」とは、ユダヤ式蹈鞴製鉄を意味する。一方の対戦相手である饒速日(大物主)は、これも前著で「HURU」の名前をもつユダヤ系出雲の、大和における首長であることを書いた。従って②においても、その戦いはユダヤ系同士の覇権争いであった。

③の戦いで、やっと崇神の指示による地方戦が戦われたものの、自らの陣頭指揮ではなかった。たとえば北陸方面には大毘古を、東海道方面は彼の子建沼河別を派遣して、和平を実現させたが、この大毘古は稲荷山古墳出土の鉄剣銘によって、ユダヤ系の将であることを述べた。崇神自身は騎馬民族の大王であって、彼の武将にユダヤ系人材がいたのである。

これら地方戦の相手がユダヤ系であるという史料はないが、吉備津彦を派遣した山陽道には、ユダヤ系と思われる「URA」(温羅)が居た。昔話では、吉備津彦(桃太郎)が温羅(鬼)を退治したのである。「URA」がユダヤ系に繋がっていることを述べた、前著からの引用である。③にも、ユダヤ系同士の戦いがあったのである。