建物の中は、外の暑さが嘘のようにひんやりとしていた。徳間が座った長椅子の横には、三十センチほどの氷柱が台の上に置かれている。アメリカ製の大型扇風機がザーッという音をたてながら風を吹き出し、氷柱で冷やされた空気を運んでいる。

GHQに接収された建物は、重厚な石造りの建物で、内部はクラシックな装飾の壁に囲まれ広々としている。天井が高く、二階の一部が張り出したテラスになっている。

床は大理石が敷かれ、ガラス窓から差し込む明るい太陽光が、床の美しいマーブル模様を浮かび上がらせている。徳間が座っている長椅子の前にはカウンターがつながり、その内側には机が並べられ、大勢のアメリカ兵が働いている。広い空間に「ざわざわ」と英語が飛び交い、電話のベルがあちらこちらで鳴っている。

電話で何かを命じている将校がいる。二階のテラスから一階の兵士に声をかけている将校もいる。ここでは英語以外は聞こえず、この建物の中はアメリカである。

建物の外では、戦地からの復員兵や空襲で家を失った大勢の日本人が野宿をしていた。闇市では屋台が立ち、闇米や野菜が売られていたが、ほとんどの人は飢えていた。ぼろを着た孤児(みなしご)が、屋台から食べ物を盗んで走って逃げる。

遠い北関東から夜汽車に乗って来た農家の男が、米や野菜を売った金をすられ、途方に暮れて座り込んでいる。そんな光景は珍しいことではなかった。

周辺は空襲で焼けた家が多く、バラックに住み、雨をしのげる者はまだましだった。雨が降り出すと、野外で寝ていた者は起き上がり、どこかへと消えて行く。そして、雨がやむと、どこからともなく戻って来る。誰もが満足に食べることができず、多くの日本人は仕事を探し、食べ物を探していた。

ところが、この建物の中は別世界である。徳間が座っている長椅子の前のカウンターには、水を入れたガラスの水差しが置かれ、その横には磨きあげられたガラスコップとマグカップが、白いナプキンに伏せて置かれている。

保温ができるポットにはコーヒーが入れられ、アメリカ兵がマグカップにコーヒーを注ぐたびに、徳間が座っているあたりまで、コーヒーの香りが漂ってくる。ポットの横には、砂糖と粉ミルクを入れたガラスの小さな壺が置かれている。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『コール・サック ―石炭の袋―』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。