人種差別撤廃は、スタートラインに過ぎない――。
黒人の地位向上に腐心する2000年代の南アフリカ。人材の多様化と成長への隘路に挑む、ある商社員の物語。総合商社に勤める高倉は、子会社であるマキシマ社の再建を担い、社長として南アフリカに赴任する。人種隔離政策(アパルトヘイト)廃止から十年。そこで目の当たりにしたのは、格差と人種差別のない理想の社会の実現には程遠い現実。業績回復途上の会社に突きつけられる政府からの命題。それは、私企業に黒人の資本参加や管理職登用などを事実上義務付けるものであった。
2019年ラグビーW杯優勝国・南アフリカの葛藤から世界のリアルを描く、社会派ビジネス小説を連載にてお届けします。
二
高倉がまだ齢三十そこそこの若造であった頃のことである。
七洋商事の業務研修生として、レバノンの首都ベイルートに滞在した。
業務研修生だから妻と子供二人の帯同はできず、単身赴任だ。
ベイルートは地中海東岸に位置し、一般的な中東のイメージとはほど遠く、風光明媚かつはなやかな街で中東のパリとよばれていた。
ロケーション、環境、気候などから、中東ビジネスの重要拠点として日本を含む多くの世界企業が、その出先をこの街にかまえていた。そのために外国人居住者が多く、それを顧客とする飲食店もまさにマルチナショナルであった。
だが、その華やかさとはうらはらに、レバノン山脈の東側はシリア、また南側はイスラエルと接しているため、いつ何が起きてもおかしくないホットな地帯でもあった。実際に過去三度の中東戦争を経験している国だ。
レバノンはこのような周辺国との関係のみならず、国内的にも多様な人種や宗教を抱えて、複雑な様相を呈している国であった。
高倉譲二がこのベイルートに向け出国したのは、一九七五年(昭和五十年)三月一日で、彼が日本以外の土地を踏むのは生まれてはじめてのことであった。
この時点ではまだ成田空港は存在せず、羽田国際空港からの出発だった。
母親も九州から出てきて空港に来たが、高倉は会社の上司先輩同僚への挨拶に追われて、妻子や母親と言葉をかわせなかった。もっとも話す時間があったとしても、母親とは、
「ほんなら行ってくるばい、なーんも心配するこつはなか。すぐ帰ってくるたい」
で終わりだっただろう。
実際彼は、一年位あっという間だ……と、わりと気楽にとらえていた。しかしあとで妻の洋子から来た手紙によると、母親はずっとデッキで飛行機を見送りながら泣いていたそうだ。
九州の田舎の年寄りにとっては、異国には日本人とは血の色、肌の色が全く違う人種が住んで いる。ましてやレバノンという国は聞いたこともない、どのあたりにあるのか見当もつかない。そんな所に行って、はたして生きて帰れるのか、今生の別れとなるかもしれない、との思いであったらしい。
※本記事は、2020年9月刊行の書籍『アパルトヘイトの残滓』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
【主な登場人物】
高倉譲二 マキシマ株式会社社長 七洋商事より派遣
アンネマリー 同社社長秘書
アンドルー・レクレア 同社カンパニー・セクレタリーのちに社長室長
ピート・ダン 同社倉庫係のちにケープタウン店長補佐
秋山峰雄 同社社長室長 七洋商事より派遣のちに経理財務ダイレクター
斉藤和夫 同社技術ダイレクター ニホンタイヤより派遣
シェーン・ネッスル 同社周辺国担当マネージャー
ケニー・ブライアント 同社前社長
ロッド・モーロー 同社管理担当取締役
トニー・コッペル 同社経理マネージャー ジンバブエ撤退担当
バート・グッドマン 同社販売担当副社長
ピーター・マステン 同社株主ポート・エリザベス在住
ザリレイ・マゲス 同社新株主代表 マゲス・エンジニアリング社社長
ジャンポール・ゲタン 同社ケープタウン店長
ポロ・マルハン ブラック・グリップ社(BG社)社長
ピーター・コナー ブリット銀行CEO
クバネ氏 ジンバブエ元外交官 現ANCメンバー
佐々木氏 TM銀行駐在員事務所所長
山川取締役 七洋商事東京本店
亀川常務執行役員 七洋商事東京本店
鈴本専務執行役員 七洋商事東京本店
風間部長 七洋商事物資本部
高倉洋子 譲二の妻
【前書き】
本作品内に差別的な発言や表現がありますが、二〇〇〇年代の南アフリカを舞台にした作品のテーマを損なわないようにしたものであり、差別意識を助長させようとするものではありません。