手渡された建築雑誌を開き、レイアウトされている幾つかの図面やスケッチを見ながら、宗像は言った。

「なかなか個性的なプレゼンテーションですね。とても新鮮に感じられます」

「ほう、宗像君、分かるかね? そうだとしたら私もこの雑誌をわざわざここに持ってきた甲斐があったというものだ」

「当然ですが、私には建築の評価はできません。今、私がユニークと言いましたのは、最初の見開きのペー ジや、その他のページを占めている絵やスケッチです」

「パースのことなどを言っているのだね? その通りだよ。ポイントの一つがこの描き方なんだ。現在建築設計界でもますますIT化が進んでいる。だから全ての図面はコンピューターで描くようになっている。パースと言われる透視図も同様だ。

今や学生から業界トップの専門家まで、全てがCGやCADなんだ。コンピューターを駆使して精巧な絵を描き、表現する時代なのさ。しかしこの当選案を見たまえ。これでは、コンピューターどころか手描きの絵のようだよ。

しかも、筆の跡が全体のマチエールを表現しているんだ。恐らくはソフトウェアの操作でわざとこのような効果を狙って表現したのだろう」

「でもこの一等案のサブタイトルとして書かれているのは“現代美術館それは癒しのインターフェース”ということではありませんか?」

「そうだ。この一等案は現代美術館のあるべき姿。すなわち新しい機能として、癒しを前面に据えた提案をしたのだよ。機能、性能、デザイン以外に、最も重要な目的があるとして独自の提案をしている。コンペの与条件を多少変更してまでも、施設の全てにわたって、“癒しのインターフェース”というテーマを貫こうとしているんだ」

「条件を変更してでもですか? しかもデザインがなかなか変わっていますね」

「建築形態についてはだね。ほら、この配置図で分かるだろう。チューリッヒ湖に沿って、ガラスとコンクリートとの二重の材料で覆われた長さ二百メートルのチューブが三本、複雑に入り組みながら伸びていく形をしている。一本目のチューブは直線で、 二本目のチューブは折れ線で、最後の一本のチューブは曲線で構成されている。

この三本のチューブが、平面的にも断面的にも、交差する部分に特徴的な提案がなされている。豊かな自然環境や、さまざまに 変化し重層化された情景と一体になって、さまざまな癒しの仕掛けがアートとして用意されているのだ」

「それを審査員に強く印象づけるため、重要な図面やパースを特殊な効果を狙って、コンピューターでわざと手描き風に描いたというわけですか? なかなか手が込んでますね。ところで、この当選した建築家はどんな人なのですか?」

「この審査は最後まで完全に匿名で行ったのだ。我々審査員十五名全員はもちろんのことだが、七人の専門委員も一緒になって、非常に厳格な三日間の審査だった。まさにあれは軟禁状態だよ、アッハッハ。 チューリッヒ湖の左岸にあるルッシュ会長の所有す る広大な別荘でね」

※本記事は、2020年8月刊行の書籍『緋色を背景にする女の肖像』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。