妻は、黙って包丁を受け取り
「私は、してないわ」という態度で、みそ汁に入れるネギを刻んだ。

互いに居たたまれない雰囲気になった。

「新聞取ってくるわ」と言い、私は庭の郵便受けに行った。木蓮の花が綺麗に咲き、2羽の小鳥がさえずっていた。

台所に戻り、花の好きな妻に、
「咲きかけていた木蓮の花がピンク色で咲いていたよ。可愛いらしい小鳥も止まって、お父さんが近づいても逃げなかった。何でやろ」と話題を変えた。

「えっ。そうなん。もう咲いたの、私もあとで見に行くわ。それより、お父さん、朝ご飯食べようか」
ともう機嫌を直して笑顔で返してくれた。

昔から、場の空気を悟り、まずいと思うと、明るく振る舞う笑顔の妻が好きだった。当時は、いつも食事を作ってくれていた。妻のみそ汁は、食堂を営んでいた母親仕込みでとても美味しかった。

「みそ汁、おいしいわ。寒いときは、これに限るね」
「そうね」
と会話をしながら二人で朝食を食べた。

妻の性格は、明るくて朗らかで素直なタイプだ。これまで、他人のせいにするような彼女ではなかった。冷凍庫に包丁を入れたことを、完全に忘れていたので私のせいにしたのだと思う。

気が付かなかったが、そのとき、既に妻は認知症を発症していたと思う。

「俺ではない。お前しか包丁を使わないだろ」と怒って問い詰めていたら喧嘩になった。妻に不満だけが残り認知症をより早めていたかもしれない。

「包丁、出てきたから良かった」「木蓮の花が咲いて、小鳥がいた」と、話題を切り変えて優しく接したのが良かったと思う。

極力、我慢して怒らないのが私のモットーだった。

※本記事は、2020年8月刊行の書籍『認知症介護自宅ケア奮闘記 私の知恵と工夫』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。