「あんたたちなんか産まなきゃ良かった!」

■母と子の思いが理解出来なかった時

私は父親を早く亡くしているので、母が、女手ひとつで、私と弟を育ててくれました。

私は、小さい頃は学校の成績も良かったのですが、中学に入り思春期を迎える頃、母親がストレスで、「あんたたちなんか産まなきゃ良かった!」、他に「あんな不良娘と、何でつきあうの? 離れなさい」と、言った言葉に、私は多感だった時期でもあり、かなり反発しました。

その果て非行に走ってしまい、14歳でタバコを吸い、けんかや家出を繰り返していました。それでも学習には何とか付いていけてはいたものの、近所や学校から素行不良のレッテルを貼られてしまいました。高校受験に際し、公立の進学校を第一志望にしていましたが、内申書があまりにも悪く、不合格となりました。ひどく落ち込み希望を失い、何も手につきませんでした。滑り止めで受けていた高校は、福岡の私立ミッション系スクールです。

合格はしましたが、進学校に落ちたショックの方が大きく落胆していました。遠距離通学に加えミッション系ということもあり、月謝も高く、また、制服もベレー帽や、金バッチ、金ボタンという、自分とは身の丈にそぐわない、いわゆるお嬢様学校でした。母に負担をかけると心配し、諦めそうになっていたところ、母は何も責めずに「さあ、制服、買いに行こうか!」と言い、学生服屋へ連れて行きました。この時、母に、唯一、無言の愛情を感じたのでした。

今でも母には、感謝しています。私がこんなことを言うのも変ですが、親は子供のことは理解しにくいのですが、子供は親の気持ちを見抜くのに長けているものです。子供は親の言うとおりにはなりません。子供の目標(憧れ)でも構いませんが、早くに、それを見抜き、その為にはどうしたら良いかを、子供と一緒に考えて欲しいと望みます。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『フランチェスカ昭子の手紙』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。