「大丈夫だ。ここは皇帝陛下のおひざもとだ。人さらいが出入りできる場所ではない」
「……わかりました」

本堂に入ると、壁面と天井いっぱいに、佛(ぶつ)弟子や、菩薩や、飛天が描かれているのがわかった。西からはいって来る光が、閉ざされた空間を、さながら別世界であるかのように演出している。そこに、李清綢(リーシンチョウ)師父がひとり、立っていた。

「李(リー)師父! 礼拝はおすみでしょうか? 王暢(ワンチャン)が、接見をのぞんでおります」

浄土の空間に、田閔(ティエンミン)の声がひびいた。

「漁覇翁(イーバーウェン)の遣いで、おとどけものをもってまいりました。お目どおりを願います」

たずさえて来た書簡をさしだした。李(リー)師父は、封を切り、中身を私にさし出して、言った。

「読め」
「え」

李(リー)師父は、字が読めなかったのである。それについては、にがい思い出があった。

宦官になりたてのころ、李(リー)師父は、字を読む練習をしておられた。ところどころ、うまく読めないのであろう、声がとぎれとぎれになる箇所があって、それを、かわりに、読んでさしあげると、さし出がましい奴、と怒られた。私が浄軍に落とされたのは、その直後であった。

「どうした、読まぬか。おまえは字が読めることを誇りにしていたのではないか」
「……漁覇翁頓首(イーバーウェンとんしゅ)して李(リー)師父に申し上げます。当方、このたび邸を増築いたしたく、ついては材木の取得に際し、便宜をはかっていただけないでしょうか。よろしくお取り計らいのほど願います。まずはお近づきのしるしに、わが一門をあげて歓待させていただくべく……」
「ほう」

李(リー)師父は言った。

「豪勢なものだな。ワシに馳走してくれるとな」
「はあ」
「漁覇翁(イーバーウェン)という人は、先代正徳帝の御代には、帝のおそばで仕えていたときく。ワシが浄身したのは、正徳年間も終わりになってからで、彼のことは、よく知らぬのだ。おまえの主人は、いったい、どのような人か?」
「え……」

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『花を、慕う』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。