天才の軌跡⑤ ロベスピエール

この頃のエピソードで興味があるのは、彼が裁判官(ロベスピエールは裁判官としての役目を果たすこともあった)として、死刑の判決を殺人犯に下さなければならなくなった時のことである。妹のシャルロッテによると、ロベスピエールは死刑は彼の信念に反すると言い、二日間食事を取ることも眠ることもできないほど悩んだという(一七九一年五月三十一日、彼は死刑廃止論をとなえている)。

一七八九年に三部会が召集され、選出されたロベスピエールが、アルトワの第三身分の代表団の一員としてヴェルサイユに着いたのは、五月三日のことであった。この選挙の時、彼は、「私は人民の擁護のため命を懸けているのです」と言い切っている。彼はこの言葉どおりに生き、処刑されるまでに故郷に帰ったのはただ一度である。

三部会へのロベスピエールの登場は華ばなしいものではなかった。彼は神経質で、声は弱々しく、初めは議場でやじられると涙を浮かべて退場することもあったらしい。

彼の容姿はやせていて短身(百六十センチ)、あご先とほお骨がよく出ており、緑灰色の目をしていた。そして顔面筋の痙攣がよく見られたという。服は一分の隙もなく、栗色の髪にはいつも当時の習慣にしたがって、髪粉をていねいにつけていた。

三部会が第三身分を中心とした国民議会へと変貌し革命が起こり、ロベスピエールがジャコバン党の指導者となり、恐怖政治を行ったことはよく知られている事実なので、ここで述べる必要はないであろう。以下には、ロベスピエールがなぜ恐怖政治を行ったのかということを書きたいと思う。

ロベスピエールはパリに住むようになった以降の大部分の期間を、指物師デュプレーの家に下宿していた。彼はそこで犬と遊び、下宿の子供たちと散歩をするのを好んだという。

また、婦人に対しては丁重で、アラスにいた頃には、彼が舞踏会に現れるとそれだけで舞踏が活気づいたといわれ、女性にはかなり人気があったらしい。子供の頃にはレースを編むこともあったというほど女性的で繊細な感覚の持ち主と、恐怖政治の指導者との間を結びつけるものは何であろうか。

彼は処刑そのものに立ち会ったことはないという。そして前に述べたように、ハトや犬が好きであった。このような事実が示唆するのは、彼が性格異常者ではなかったということである。

もしも彼が違った時代に生きていたならば、彼は良心的な法律家として、意義のあるしかし平凡な生涯を送ったかもしれない。

※本記事は、2019年6月刊行の書籍『天才の軌跡』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。