その三 酒飲みの戯言

① 私の父の入院

昭和四十七年秋、父が原因のわからない急性の腹痛で入院し、緊急手術した時のことでした。妊娠七カ月の私をいたわってくれた彼は、仕事が忙しい時でしたが、夜の付き添いをしてくれて、優しい人だと心から感謝しました。

数年後、この時のことを、事あるごとに心を傷つけるように言われるのでした。点滴をつけたまま「うんこ(大便)を垂らして歩いた」。確かに大変だったと思います。

また、弟が世話をしないことを、胸をえぐられるような言葉でなじられるのでした。

そのように感じてしまう程に……重くのしかかっていきました。

② 血筋を責める、言葉の暴力

父はその後もお酒をやめられず、弟もしばらくの間、面倒を見ない状態でした。「お前の血筋は何だ!」と、ただでさえ、結婚の時の費用のことでも、貧乏で引け目を感じていた私だったのですから、辛うじて保っているプライドをも、傷つけられるような言葉の嵐、それらの言葉は暴力に等しく感じたのです。

彼がお酒を飲むたびに、彼から責められ侮辱され、私は身を縮めて、浴びせられる言葉に曝(さら)されて(危険な状態に置く)耐えていました。「たかが酒飲みの戯言」と受け流すことができない私の心の脆弱性、過剰に反応していたのかも知れません。

段々「私」というものをなくしていきました。