7月24日(火)

債務者(その2)

娘が強烈に印象に残っているという私の二つの姿、

その一つは平成12(2000)年頃と思う。

私は創業メンバーの一人として平成元年(1989年)にある会社を設立した。

私は創立時に社長に就任し、その後22年間その席にあったのだが、出資者ではなく、二つの親会社が50%ずつを持つ折半出資の合弁企業だった。私の在任中に地底から天上までを味わった。最終的には「超」のつく優良状態でバトンタッチしたが、設立から20年余、十分すぎるほどいろんな状況があった。

企業分類とか企業区分と言われるものがある。下から言えば、

1.破綻先

2.実質破綻先

3.破綻懸念先

4.要注意先

5.正常先

その会社は、1.を除く、すべての段階を味わった。

1996年頃は銀行から見て、2.実質破綻先、の状態であった。

債務超過ははるか昔で、当時累積損失は資本金の8倍に達していた。

それでも銀行が融資を続けてくれたのは親会社の債務保証があったからである。銀行が本気で貸し渋り、引き剥がしを始めるのは、もう少しあとのことで、幸いにもその時期には我々は急角度で上昇に入っており、累損は残るものの新たな借り入れの必要はなく、借入残はどんどん減っていた。

その「実質破綻先」カテゴリーの時期、行名は変わったがそのときも今もメガバンクと呼ばれる銀行に、その日弁済期日の1億円があった。その金は同日同行から“つなぎ”融資を受け、つまり“ジャンプ”することになっていた。親会社の取締役会が承認した債務保証も付けていた。すべて手続きは終えていた。

ところが当日朝になって、担当者から電話が入り、「本部の決裁が得られなかった、融資は実行されません」と言う。

「うちを潰す気か」と私は怒鳴った。「いいよ。しかしその金が出なければ、今日決済のお宅への1億円は払えないよ。金はないよ。金がないことはよく分かっているだろう。困るのはそっちだろう」

すると間もなく支店長が飛んで来た。格式の高い支店で、支店長は「取締役」であった。

取締役支店長がわざわざ来たのに驚いたが、何と菓子折りを下げていて、「ご心配掛けまして。私の権限で即刻1億円の融資をします」と頭を下げる。あとでそれとなく他から聞いたことで真贋は分からないが、当時そこの支店・支店長は、3億円までは本部決裁なく融資を実行できたらしい。

金は借りた方が強いとは聞いていたが、現実に体験してびっくりした。

天下の大銀行取締役支店長に、借金した方が頭を下げられるとは、思っても見なかった。

私の企業人としてのただ1度の経験である。

しようとしてできるものではなく、2度としたいとも思わないが、思い出深い出来事である。

娘はそれをすぐ横で見ていた訳である。

昨今のユーロ不安、ギリシアが話題に出るたび、あのときのお父さんを思い出すという。

ギリシアはお父さんみたいなもんだな、という。

日本でも多くの巨額債務・踏み倒しが発生し、これからも発生するだろうが、基本形は同じと思う。

借りた方の開き直りと、貸した方の「先送り」である。

そして先になるほど借金は増え、借金額に逆比例で借りた方が強くなる。

立場は常に、失うものの多い方が弱いのである。

まあ、私はヤクザではなく必死故に出た言葉だったが、相手の痛神経の芯を叩いた訳である。

幸い当方は極めて真面目な会社であり、世に必要な業務であったので、うまくギアが入ると業績は急激に好転した。

今も優良企業であり続けている。

 

2013年

1月26日(土)

債務者(その3)

時の経つのが早すぎる。一週間と思ったら一月、一月と思ったら一年である。

前回のメモからはや半年である。

娘に残るもう一つの記憶を書いておく。

こっちの方は、私にはまったく記憶がない。

駅、というからおそらくY駅と思う。改札口が渋滞で人が動かない。

見ると一人の男が改札で、駅員に大声を出している。

その頃は乗車切符に駅員がハサミを入れ、降車時には回収、定期券は目視確認していた。 つまり改札には駅員が立っていたのである。

乗客の通路を塞いで、男は駅員に文句を言っていた。

「お父さんがすうっとそこへ行って、男の前に立ち、2本の指で男の額を突いた。男は静かになった。」

2本の指というからには人差し指と中指であろう。

相手に、肉体的打撃は与え得ない。

私はまったく覚えていないが、娘が夢を見た訳でもなかろう。

私は、手出ししない(手出しできない)相手に居丈高な人間を好まない。駅員がその男に反撃するなら、駅員は自分の将来を賭ける覚悟を必要としただろう。だから黙って怒鳴られている。つい味方したくなるのは、私の血である。

 

4月4日(木)

イレッサ

肺がん治療薬「イレッサ」使用に関する“薬害訴訟”で、最高裁は国並びに製薬会社の責任を否定、原告敗訴が確定した、そうである。

私は「イレッサ」の名も、そうした訴訟のあることも知っていたが、正確な内容は知らない。

「イレッサ」についての私の理解は次のようなものである。

「末期の肺がん患者に“劇的に”効く。但し副作用の確率も高く、その場合患者は速やかに死に至る。」

私にとっては理想的なクスリである。

私が末期肺がんにあって選択を求められたら、一瞬の躊躇もなく、イレッサを選ぶ。

因みに昨4月3日産経新聞の

【用語解説】イレッサ

によれば、

「(前略)昨年は新たに約7,500人が投与を受けた。だが、厚生労働省によると、間質性肺炎などの副作用で昨年末までに862人の死亡例が報告されている。」

とある。

“昨年だけ”で7,500人が治療を受けている。

昨年末“迄”に862人が副作用で死んでいる。

こういう文章も実は分かりにくいんだよね。わざと分かりにくくしているのだろうが。

累計で何人が治療を受けたのか。

薬害死したとされる862人も、イレッサ治療を受けなければ生き続けた可能性があったのか。

どっちにせよ私がその状況に至れば、「イレッサ」を選択する。

 

2014年7月7日(月)

ボケるのは恐怖だ

私は60になってから劇場へ通うようになった。70を過ぎて病み付きになった。

今では芝居を観るために、元気で長生きしたいと思う。

目と耳と足。

舞台というもの。それは、人間が自らの肉体のすべてを使った「表現」。

この面白さに目覚めたのは、「劇団四季」であった。

四季劇場の『春』『秋』『自由』が勤務先の徒歩圏にあって、ほとんどすべての公演を、演目によっては何度も観た。浅利慶太さんもよく見かけた。

私は小澤征爾さんを好きで、ただ小澤さんを確実に聴きたいという理由で、新日本フィルハーモニーの最初期からの定期会員である。

その小澤さんがNHK交響楽団にボイコットされた場面での浅利慶太さんたちの対応は、それ自体、素晴らしいミュージカルの素材だ。「立て、征爾。燕尾服を着けよ」、そして征爾はオーケストラのいない、聴衆もいない、誰もいないコンサートホールで、その日予定された全プログラムを振る。征爾の中でどのような音が鳴ったのか。

そして征爾は出発した。

小澤さんと岩城宏之さんの能力の差は、私には判定できない。私に分かるのは小澤さんはNHKに排斥され、岩城さんはNHKに可愛がられたということである。

今の私は、四季へ行くのは年に4、5回になって、歌舞伎を中心とする日本の古典芸能にのめり込んでいる。が、その端緒は、浅利慶太さんの『劇団四季』であった。

その浅利さんが『四季』の経営から離れたと聞く。端的には、ボケがきたそうである。

レーガンもサッチャーも浅利さんもボケたとすれば、アタマを動かしているだけでは、ダメのようである。

自分の「終い」を、コワイものから順番に書く。

1.元気でボケること(これは恐怖である)

2.脳は正常で、寝たきり(ツライだろうなあ)

3.ボケて、寝たきり(〝乾燥〟させてくれと遺言に書いておく)

がんで、「余命」を告げられることは、何という安堵だろう。

※本記事は、2019年3月刊行の書籍『良子という女』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。