10 梅の実

梅雨というと雲も垂れ下がり、シトシトと雨が降る空模様を連想する。

梅雨は、中国の長江下流から台湾、日本の沖縄へと訪れる長い長い雨の季節だ。この時期、湿度が上がり黴(かび)が発生する。季節の特色として「黴雨(ばいう)」といわれていた。

毎日毎日降る雨。それに梅という字を当てはめ「梅雨(つゆ)」という言葉がつかわれるようになった。

この季節の梅の実は緑色で、いかにも初々しく、生命力を感じる。梅の実が大きくなると枝から離れ、人々はその実を大切にし、季節の紫蘇の葉など共に保存食として各家でせっせとつくったものだ。

人々が色々様々工夫し、その作り方で微妙な、なお、且つ特色のある「梅干し」が出来上がる。

長い間伝えられた梅干しは、人の体に優しく殺菌作用もある。年々歳々その味わいも変わり、和食の調味料として欠かせないものとなっている。そのさじ加減によって料理の出来栄えがコロリと変わってくる。いわば、神秘をたたえた貴重な食品といえよう。

能はユネスコで世界無形文化遺産の第一号に認定された。我が国で文化が開花した「室町時代」の芸能が六百五十年もの間、磨きに磨かれ、その価値観が認められたのである。

長く続いただけでは何の意味もない。「人間の生命力」が吹きこまれていなければ形骸化し、その外見の様をみるだけでは、人から人へ伝えられていく芸能とはいえない。

人はどうして争い、どうして悲惨な現状を生むのだろうか。情報社会の発信は早い。発信される世界各地の悲惨な状況は、いつも私の心の中から離れない。なぜに争いが起きるのか。なぜに相手を理解しようと思わないのか。なぜに自己本位に陥るのだろうか。自己より他者に対する思いやりが欠如しているとしか思われない。

いま私が現代に息吹く能を考える時、ある時は「おどろおどろしく」。ある時は「美しくも儚く」。またある時は「清くも静寂」に演じられるものだ……。

梅雨の鬱陶しい日、はたと若い梅の実を見ると、私の中に横切るものがある。絶えず目先ではなく、何か自然を見て思うこと。その大切さ。それは忙しさの中でも心のゆとりを持つこと……。

日本には幸い、恵まれた美しい四季がある。その中に人の世の「心に時めく美しさ」が見つけられるのではないだろうか。

※本記事は、2018年11月刊行の書籍『世を観よ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。