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これより八カ月ほど遡る、その年の三月のある日のことである。ロンドン、ウエスト・ミンスター地区のとある一角つまり、バッキンガム・ゲイトに面して、さほど大きくはないが、古式蒼然としたたたずまいの、いかにも格式の高そうな一軒の建物があっ た。

薄汚れた感じは否めないが、ビクトリア調でデザインされた赤茶色の煉瓦積みの外壁に、太めに白く縁取られた開口部。そして同じく白色に塗り込まれた細い桟と、小さな板ガラスで組み立てられた両開きのポツ窓。

正面には八段ほどの階段があり、前面道路から一メートル近く上がったところが玄関になっていた。入り口脇の袖壁の足元を見ると一八二七年の完成を記した銘版が埋め込まれている。

そしてその上に、1828の年号と一緒に、PORTMANの文字が掘り込まれたブロンズ製の銘板が取り付けられている。幾分褪せた感じの緑青が変化して黒ずみ、その汚れがこの二枚の銘版から煉瓦壁に沿って幾筋か流れ落ちていた。

倶楽部では、常備されている電気錠とは別に、夜ともなると、紺色の制服に身を包み、同色の帽子を目深にかぶった警備員の深夜まで詰めている姿が、白色に枠取りされた玄関スクリーン越しに見えていた。

バッキンガム宮殿まで数分という場所柄もあるのだが、いかにも特別な建築であることを実感させるような立派な佇まいをしていたのである。

建物の一階には、ごく目立たぬような設えでポートマン倶楽部が置かれていた。

芸術に深い理解のある貴族として有名な、ポートマン卿が一八二八年に創立した、伝統誇る会員制の倶楽部である。発足当時の経緯もあるが、この倶楽部は名のある芸術関係 者が数多く出入りすることでよく知られていた。

しかしさすがに百七十年も経つと、当時の進取の精神はどこかに追いやられ、おまけに形式的とはいえ、入会資格も厳格過ぎて、今では功なり名を遂げた老人たちの溜まり場になりはてていたのだった。

ちょうどその時、一人の男が警備員に扉を開けさせて表に出てきたところだった。