母に似て美人だと、よく言われた。その母が幸せでなかった事は、私が一番よく知って いる。母は人目をひく美人だが、内気で平凡な人だった。私は母のようになる事を恐れた。

美人は羨望され、期待され、それに応じられないなら、たちまち嫉妬を受け、偏見で見られ、足を引っぱられる。私は、善意、思いやり、誠実さ、向上心、それに忍耐強さを養い、いい人間でありたいと思い、生きてきた。内面こそ全てだ。

歳をとればとるほど、人は生きざまが顔に刻まれ、自ずと内面が顔に表れる。私は美人と言われるより、自分で恥じない生き方をしたい。そう考えて、常に目の前の問題を直視し、格闘して生きてきた。

ふと時計を見ると五時を過ぎていた。あまりお腹はすいていなかったが、薬を飲まないといけないので、食事を買いに近くのコンビニへ行った。卵サンドとカフェオレと、お茶のペットボトルを買い、部屋へ戻った。これから食べようとした時だった。

部屋のインターホンが鳴った。こんな日に誰だろうか……。ボタンを押して出てみると、宅配便だった。何の心当たりもないので誰からかと聞くと、横浜からだと言う。横浜に知り合いなどいないと言うと「でも、木村さん宛ですから……」と言われ、仕方なく一階へ降りてオートロックのロビーを出た。

大きな平べったい包みを渡された。受け取ると「木村登世子様……横浜緑ヶ丘ホスピス」と書かれており、確かに私宛だった。部屋へ戻り、不審に思い、それを床に置き、すぐには見る気になれず、卵サンドを食べ、カフェオレで夕食後の薬を飲んだ。

やおら包みを手にとり、私は頭をひねった。横浜緑ヶ丘ホスピス? まるで見当がつかなかった。

茶色いハトロン紙を恐る恐るやぶってあけると、またハトロン紙の包みが出てきて、その上に封筒が貼り付けてあった。その封筒を取り、中をあけて見ると一枚の手紙が入っていた。

木村登世子様

突然の便りで失礼致します。 お正月に、悲しいお知らせで、誠に心が痛みますが、当ホスピスで半年間、療養しておられた神矢敬様がお亡くなりになりました。一月十五日の夜、十一時五十五分、享年六十六歳でした。 生前に、自分が死んだら、この包みを木村さんに送って欲しいと遺言されていましたので、ここに送らせて頂きます。よろしくご査収下さい。神矢さんの事で、何かお知りになりたいのでしたら、いつでもいらして下さい。では、用件のみにて、失礼致します。

横浜緑ヶ丘ホスピス 沢田佳子

※本記事は、2019年6月刊行の書籍『愛』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。