天才の軌跡⑤ ロベスピエール

ロベスピエールは、一七五八年五月六日に生まれている。名前はマクシミリアン・フランソワ・マリー・イジドール・ド・ロベスピエールという。その名が示すように、ロベスピエールの先祖は貴族であったらしく、その一門からは法律家、公証人を輩出している。

彼の父の名はフランソワといい、性格は風変わりで、規律のない人であった。このためフランソワは少年時代、修道院に入れられていたという。性格的な問題はあったにしても、この父は頭がよく、弁護士になり、家業を継いでいる。

弁護士になってからも彼の奇行はおさまらず、アルトワ州の首都アラスでは彼についての話題に事欠くことはなかったらしい。この父が母と結婚した時、母はすでにロベスピエールを身籠っており、父方の家族は一人も結婚式に出席していない。

母はアラス近郊の醸造家の娘であった。父の奇行は結婚後おさまり、この時期は弁護士としてかなり成功しており、また、よき夫であり、よき父であったといわれている。

ロベスピエールの悲劇は、彼が六才の時に母を失ったことから始まっている。母は二人の妹と一人の弟を産んだ後、もう一人出産(男女不明、生後すぐ死亡)した際の産褥期に死亡している。

生来精神的に不安定であった父は、この妻の死に耐え切れず、弁護士を廃業し、酒を飲みはじめ、ロベスピエールが八才の時に失踪する。その後彼は時々アラスに帰ることはあったが、金の工面をするためだけの理由でしかなかった。

父はロベスピエールが十四才の時に、ミュンヘンで客死したといわれている。このためロベスピエールと弟オーガスティンは祖父の家で、二人の妹は伯母の家で育てられている。

妹のシャルロッテによると、母の死後、ロベスピエールは全く変わってしまったという。

「それまで彼は他の少年達と同様、落着がなく、乱暴で、気苦労のない子供でした。しかし、彼が最も年長ということで、家長であるということに直面すると、彼は冷静で、生真面目、勤勉になりました。彼は我々に重々しい口調でしゃべりかけるようになり、我々は敬意をもって聞いたものです。彼がゲームに加わったりするのは、(遊ぶためではなく)監督するためだったのです。彼は、やさしい愛情を我々にもっており、我々のめんどうをみたり、あやしたりよくしてくれました」。

そして、この頃、ロベスピエールは母のことを話す時はいつも声がふるえ、目に涙を浮かべていたという。

病弱であったため、彼は、教会のモデルを作ったり、絵を集めたりするのが好きで、また、母から教わったレースを編むこともあったらしい。この他に、ロベスピエールは、ハトを飼うことも趣味にしており、妹たちにやったハトが不注意のために死ぬと涙を流して悲しんだとシャルロッテは言っている。

※本記事は、2019年6月刊行の書籍『天才の軌跡』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。