悟りは、救済(salvation)の状態に達し、涅槃(Nirvana)に入るために必要な第一段階である。そしてテコンドーの訓練で習得する無心は、悟りの境地を開くために不可欠なものである。

テコンドーでは、生徒が悟りの域に達することができるよう懸命に指導する。一つの動きを行ったその瞬間、悟りの状態に達することで撃破は成功する。心、体、精神の全てを一箇所に集中するのだ。撃破では、自身の全てを一つの動きに向ける必要がある。

人間の骨は、自力で岩を砕くほど強くない。テクニック、スピード、正確性、そして体が一つとなって初めて硬い素材を割ることができる。また、この成功には、丹田から気を生み出し、無心の域に達する必要もある。

さらに、実践中に気合いをいれる事で、積み上げられた体、心、精神のエネルギーが一気に体の衝撃箇所に加えられる。不可能のように思われるが、テクニックさえ身につければ素材を割る事は可能である。

普通ならありえないような驚くべき偉業を達成した人々の話を聞いたことがあるだろう。こうした話の共通点は、その人物が偉業を達成した瞬間にある状態であったことだ。つまり、極限状態では、私たちは本来備わっている潜在能力を最大限にまで引き出すことができる。

必要ならば、通常よりも力やスピードを増幅し、器用に立ち回ることができるようになる。テコンドー生徒は、こうした潜在能力を頻繁に引き出せるよう鍛錬を重ねていく。

また、マスターレベルになれば、常にこうした状態を引き出すことができる。撃破は、時間をかけて練習し、技を極めていきながら、自身の体の限界を超えるための精神的鍛錬となるのだ。それは力任せでなく、洗練された技を駆使し、悟りの境地に達することで成功する。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『人の道 伝統的テコンドーの解釈』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。