第二章 若旦那

播磨屋仁兵衛襲名

元治元(一八六四)年、幕府は長州征伐を決め、譜代であるこの二大名にも出征を命じた。大久保加賀守から播磨屋に緊急の使いがあった。軍資金として二万両の資金調達が申し付けられたのである。しかし播磨屋の自己資金は一万両に満たなかった。不足分は金貸し仲間から借りなければならない。

どうせ本多主膳頭からも調達を頼まれるだろう。それを含めていくら用意すべきか。戦が長引いて返済が遅れれば、利息の立替という新たな負担も考えられる。といって貸し渋れば、諸藩御用達の看板を失う恐れもある。

恭平は考え抜いた末に、同業者中随一と言われた亀屋喜兵衛を訪ねた。

「いつもお世話になっております。亀屋さんにはいつも私どもの商売仲間の先導をお勤めいただきまして、おおきにありがとうございます。その御礼と申しては何ですが、このたびは亀屋さんに儲けていただくお話を持って参じました」

「ほお、儲け話となれば喜んで片棒を担がしてもらいます」

「大久保加賀守様には、このたびの長州征伐において大きなお役目を頂戴し、勇躍ご出陣のご準備にお忙しくなさっておられます。私どもにも二万両をお申し付けいただきました」

「それは結構なお話でんな」

これで喜兵衛には察しがついた。二万両とは大口だ。ははあ、持ち金が足りないな。さていくらの借金を言ってくるのだろう。そう楽しみにしていると、話は意外な方向に展開していった。

「私が大久保加賀守様に亀屋さんをご紹介しますので、五千両をご用立ていただきたいのでおます。手前どもは一両当たり二分五厘の斡旋料を頂戴するだけで結構でおます。いかがでしょうか」

「はあ、それは、ふうむ」

大名相手なら利息の相場は五分前後である。その半分を斡旋料で取られれば二分五厘しか残らない。同業者間で決まっている三分の利息より安いのだ。しかし、亀屋側にはもっと大きな利点があった。大久保加賀守に直接貸せるということだ。自己資金の少ない播磨屋に貸すより安全である。

「播磨屋さん。私に三分払うところを二分五厘で済まそうというのかい。上手いことお考えにならはったな」

「御冗談をおっしゃいますな。私は亀屋さんに御礼がしたい、儲けていただきたいと思いまして、私のできる精一杯を考えたまででおます。私のできることは加賀守様のことくらいだすさかい」

恭平は、私のできること、という言葉を連発した。確かに亀屋が大久保加賀守に関わって儲けられるのは、播磨屋の承認の下でしかない。それは恭平のできること、というより恭平にしかできないことなのだ。恭平が口を利かなければ、二分五厘どころか一厘の利益にもならない。

その一方で、恭平は大坂の御用達五十数軒の誰にでも同じ提案ができる。自分が断ればよそにいくだけだろう。小柄で丸顔でにこにこ愛嬌を振りまいているが、こいつは曲者だ。しかたがない。喜兵衛は、ここは二分五厘でも取っておくほうが上策だと素早く計算した。

「なるほど。よう分かりました。播磨屋さんのおっしゃるよう儲けさせてもらいまひょ」

恭平は同じ話を他の同業者にも持ち込み、自己資金よりはるかに大きな額を安全に調達した。この方法は本多主膳頭への用立てにも使われた。そして慶應元(一八六五)年の再度の長州征伐の際にも活用された。

その大活躍は同業者間で話題となり、播磨屋仁三郎の名は日に日に高まっていった。この隆盛を見て安心した養父仁兵衛は慶應三年に隠居を決めた。二十三歳の恭平が播磨屋仁兵衛を襲名して、当主となったのである。