鑑識によると、死亡時刻は昨晩の夜七時から十時の間と推定された。

寝室に置かれた主人の名刺入れから、ロイド財団特別顧問の肩書きの名刺が発見され、すぐさま財団にもこの事件が伝えられた。家政婦の語るところによると、老人には残された身寄りはロンドンにいないようだった。しかしダブリンに三つ違いの妹がその夫と住んでいることが分かり、そちらにも連絡がとられた。

その結果、彼女はその日の夕方か夜には、ロンドンに入れることが確認された。

高名な美術評論家ミッシェル・アンドレ氏死亡の出来事は、その日のテレビや翌日の新聞で広く報道された。多くのテレビ番組や新聞記事の中ではこのように解説されていた。

鍵が完全に施錠されていたり、室内には争ったような痕跡が全くない状態で、混乱の様子は一切見られなかった。それに、最近ポートマン倶楽部によく顔を出していた氏は、仕事上の問題で不満を爆発させたり、他の美術評論家達をこき下ろしたりしていたかと思うと、傍に人を近づけないほど落ち込んだりした様子の多々あることが、倶楽部の職員から語られたとあった。

このように倶楽部によく出入りする関係者の多くが、アンドレ氏は最近感情の起伏が激しかったと、一様に言っていたところを見ると、原因は老人特有の鬱病による自殺の線が強いようだと報道されたのである。

しかし警察のコメントから判断すると、他殺の線が完全に否定されているわけでもなさそうで、捜査は引き続き行われるだろうとも付け加えられていた。

多くの新聞では特別に紙面を割き、氏のこれまでの輝かしい業績を載せて、英国美術界、いや、 広く世界の芸術界にとってまことに惜しい人物を失ったと一様に結んでいた。

※本記事は、2020年8月刊行の書籍『緋色を背景にする女の肖像』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。