「実力」というものの本質は…

私は、19歳の頃、貧乏が嫌で、東京の浅草ロック座に飛び込みました。その当時のギャラは、売り出し中の芸人さんよりはるかに高かったと思います。私は働いたお金で、ブランドの服やバッグ、靴、アクセサリーなど購入し、毎日、美容室に通い、ヘアメークにも気を使っていました。。着飾っていた私は、何となく虚栄心を覚え、一方で虚無感も感じていましたが、何よりも別人になった自分にワクワクしていました。

そんなある日、友人に企業経営者を紹介してもらいました。彼から会社の社員や数多の海外方お客様を紹介され、また、時折、銀座の高級クラブへ連れて行ってもらうこともありました。

しかし、私は海外の方が来られても、片言の英語で物怖じをし、クラブで難しい政治の話題が出ると、さっぱりついていけませんでした。だんだんと彼といる時間が私にとっては、酷となり自然に離れてしまいました。

実力というものは、おかしな表現ですが、相手の実力に応えるだけの力、独自の考えを述べるような教養を身に付けることだと、つくづく考えさせられました。私は、そういうところには、全く気を使っていませんでした。ただ嫌われないようにしよう、愛されるようにしようと、そのことばかり思っていたのです。相手の顔色ばかりうかがうような恋は、心を貧しくさせるものと、この失恋から学んだのでした。

どうか皆さんは、自分を大切にし、やさしくて誠実な男性を巡り会いますようにと、願うのですが……そういう経験もいいのです。

皆さんは、まだまだこれからです。生き生きとした華々しい恋や、悲しく切ない恋も構いません。若い時の経験は、みなこれからの自分磨くに役にたつものです。そうしていつか良い伴侶に巡り会うようにと祈りますね。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『フランチェスカ昭子の手紙』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。