2月27日(月)

妻より先に死にたい

私の妻はいわゆる弱視で、鏡の中の自分がぼけて見える。だから化粧をほとんどしたことがない。口紅が塗れないのである。「(口紅が)1本あれば10年持つわ」なんて言っている。70近い今迄、顔にものを塗っている姿を見たことがない。白髪を染める気も更々なさそうである。

美人でない。しかしきれいな女だ。

私がそのことに気付いたのは、結婚して30年も過ぎた頃である。

それほど弱い視力の女が、旅先の路辺にある小さい花を、よく見付ける。

「きれいなものは見える」

という。

年を経るにつれ、この女への愛おしさが深まる。

何か、私の中のものが彼女と溶け合い、彼女が私の内部にいるように感じる。

この女に先立たれたら、私は、どうしよう。

見当がつかない。後を追うかもしれない。

ただひたすら、俺より先に死ぬなと願う。

 

3月3日(土)

久坂部羊先生

自分が関心を持つと、多くの関連情報のあることに気付く。最近の私は「死」の問題、自分がどう死ねるか、という問題である。

久坂部羊という方を、私は知らなかった。最近産経新聞「話の肖像画」に出られて、初めて知った。お医者さんで小説家とのことである。語っておられることにまったく同感である。私がこのメモで期していることの裏付けである。私の考えは決して「変」なものでなく、ごく平凡な、常識的感覚であると思う。

久坂部先生は語っておられる。

『日本の国民医療費が36兆円を超えて問題になっています。中でも死の直前の医療費が大きな負担になっている。統計によって異なりますが、国民一人が一生に使う医療費の約半分が、死の直前2カ月に使われるという報告もある。』(産経新聞2012年2月29日)

これは逆に言えば、医療〝業界〟にとっての「ドル箱」であることを示している。しかも、死んだからと医療ミス云々を訴えられるリスクの皆無な、もっともおいしいネタである。ここに病根がある。

私は経費の考え方を、分母に「(自意識のある)生存期間」、分子に「費用(医療費)」、で妻子に説明している。分母はゼロに近づくのだから、値は肥大していく。

考え方を、医療業界の都合でなく、我々の常識に切り替えるべきである。

そうしなければ医療費の問題は絶対解決しない。

医療費の自己負担率も引き上げれば良い。それがもっとも正確な医療の正常化につながる。しかし医者たちは〝弱者〟を人質にして自分の利権を守る。

『治すことばかりを考えている医師には生かす医療から死なせる医療にハンドルを切る発想がない。適当な時期に快適に死ぬには、死の側に立つ専門医のサポートがいる。』(同上)

「治すことばかりを考えている」、それが実入りになるからである。治すこと自体は彼らの目的でない。治らないことは医者が一番分かっているのだ。

『オーストリアには人間ドックなどない。どこも悪くなければ検査はいらないという考え方です』(産経新聞2012年3月1日)とも久坂部先生は語る。

私も2年に1度くらいはドックに入るが、何か見付けられて精密検査を勧められる。精密検査の結果が重大だったことはない。1粒で2度おいしい、をやっているのではないかと疑っているところである。

 

7月2日(月)

債務者(その1)

私のこのメモは、家族も知らない。

もう少しまとまったところで教えようと思っている。

私の終末が、いつ、どのような形か、知りようがないが、それなりに遺言のつもりで書いている。

娘と長い付き合いである。幼児時代から、いつも一緒にいた気がする。

しかしべたべたした関係でなく常に一定の距離があって、その距離は娘が設定したのである。

子供時代を含めて、手をつないで歩いたことはない。のみならず並んで歩いたこともない。

彼女は必ず私から5m以上離れて歩いた。それでいて、いつも一緒だった。

小6か中1の頃、私たちの教会へ、ドイツのケルンから少年少女合唱団が来た。

ずっとあとになって聞いて納得したのであるが、その少年少女たちの歌によって、彼女はドイツ語に興味を持ったのである。授業にはまったく関係なく、小塩節先生の「NHKドイツ語講座」を、熱心に勉強していた(本来やるべき教科を勉強する姿は、見たことがない)。

大学はドイツ文学を専攻した。一般の会社に就職したのであるが、どうしてもドイツへ行きたいと、3年間、デュッセルドルフへ行って、現地で働いた。約束だったので3年後、帰ってヨメに行けというと、素直に帰ってきた。当然間もなく結婚すると思った。短期間では迷惑を掛けるので、よそ様でなく自分の会社に私の助手として入れた。

私とは絶対に距離を置く女であったから、同じ部屋なら、早く飛び出すと思った。

それが完全な誤りであった。棲みつかれてしまった。

それでも、並んで歩いたことは、一度もない。

手をつなぐなどということは、私の臨終の場でしか起こり得ないだろう。

彼女にとって私は害だったのではないか、と度々思う。

しかし彼女は、それなりに幸せそうである。私が鈍感なのかもしれないが、暗く落ち込んだところを、見たことがない。

もっとも、自分の内面を見せない女である。

人の話はよく聞くが、自分の考えはほとんど語らない。

父の私にも、正体は、よく分からない。

そんな娘がひと月ほど前、「お父さんのことで強烈に記憶に残っていること」と、二つの出来事を語った。一つは私自身忘れ得ないものであるが、一つは完璧に忘れていることである。(続く)

※本記事は、2019年3月刊行の書籍『良子という女』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。