学校とアルバイト、それ以外の時間は全て雄太の相手。頻繁に電話やメールが来て、返せないと彼は怒り出す。
そんな毎日の忙しさで、私はヒロキのことをすっかり忘れる事ができた。しかし、徐々に疲弊していった。
ある日、雄太に抱かれているとき、ふいに涙が止まらなくなった。その日は、学校の後ショッピングモールでデートをしてから彼の家に行くという流れのはずが、彼はデートをするのを強く拒んだ。結局学校の後すぐに家に直行し、私たちはセックスをした。私は自分が彼女として、大切にされていないと感じた。
まるで身体だけの関係だ。私は雄太のことが好きなわけでもない。好きでもないのにこうしてセックスをしている。雄太も、私の身体だけが目的だ。なんて虚しいんだろう。
私はもうヒロキを忘れたのだ。もう、いいではないか。なんのために雄太といるのだ。なんで私はセックスをしているんだろう?
気持ちいいから? いや、気持ちよくない。むしろ気持ち悪い。これはレイプだ。もうこれ以上、私を犯さないでくれ。
それが、私が貞操観念に目覚めた瞬間だった。私が突然泣き出したので、雄太は驚いてセックスをやめた。
「ごめん、痛かった?」
そう言われて抱きしめられた。びっしょりと汗をかいた身体に込み上げてくる嫌悪感と虚無感。なぜ抱きしめるのだろう。好きでもないくせに。なぜこの男は、好きでもない女とセックスができるのだ。
しかし好きでもない女とセックスができるのは、この男に限ったことではなかった。高校を卒業する頃には世の中の、ほとんどの男がそうであるということを痛感していた。
「私、デリヘルでバイトしようと思ってるんだよね」
十八になった頃、ある友人の言葉で、私は性風俗というものの存在を知った。金銭と引き換えに性をサービスとして提供する産業。
一般的には男がお金を払って、女からの性的サービスを受ける。男は好きでもないどころか、知らない女を商品として買い、女はお金のためにサービスを提供する。
つまり、この性風俗産業が成り立っている世の中こそが、男は好きでもない女にお金を出してでも、性的サービスを受けたいと思っているということを証明しているのである。
もちろん、男にもそれなりの貞操観念を持つ者もいる。旦那がそうだ。