竹村はそうした「絶対主体の確立」による「生死透脱の道」を獲得した人物として良寛を挙げ、次の言葉に注意を促した。文政11・一八二八年の越後三条大地震に際して親しかった山田杜皐(とこう)からもらった見舞状に対して「災難に逢(あう)時節には、災難に逢がよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候」と答えた文章だ。

「死は絶対に不可避である。災難にも、有無をいわせない人知を超えるものがある。これらに出会って、我々は、どう対処すればよいのであろうか。もしこれらを自ら受け入れれば、すでに受け入れているのであるから、改めて災害がやってくることはない。もはややってこないのであればこのとき真に災難をのがれえていることになる。それは、消極的のようで実はちがう。むしろ徹底して積極的な立場である。主体的に徹底して苦難に殉ずるところに、絶対主体の生きざまが輝くのである」と竹村は解説する。

災難をこちらから迎え受ける覚悟がすでにできているような良寛についての主体性の説明から、私は正岡子規(一八六七~一九〇二)の『病床六尺』の文章を思い起こす。

「余は今迄禅宗の所謂悟りという事を誤解して居た。悟りという事は如何(いか)なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」(明治35年6月)という有名な文章だ(『子規人生論集』講談社文芸文庫㉙)。

死を恐れず平気で死ねる、ということには禅の眼目はないのであって、死に直面しても「平常心」で生きていけるという主体性の強さ、これを禅的悟りの中に子規は発見したのである(子規については、「唯物論的死生観」の中でも再説したい)。

※本記事は、2019年1月刊行の書籍『オールガイド 日本人と死生観』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。