正月も平穏に過ごすことができた。

2月1日の鼠径ヘルニア手術のため1月31日に私が三田病院へ入院したとき、良子は病院までついてきた。考えてみれば、あのあたりがターニングポイントだったのだ。急激に元気になった。

12月21日に化学療法(XELOX)を開始したのであるが、その標準である「点滴」を、最初の一度のみで、主治医の判断で打ち切った。最終的な結果がどうであれ、私はこの処置を正しかったと思う。常用していた白い手袋も必要なくなった。副作用はほとんどない。

今回の伊勢神宮参拝の旅を、どれほど待ち望んだことか。旅の前にこんなにワクワクするのは、久しくなかった。今までは2泊3日の行程で、一晩は「むら田」で鰻を食べ、一晩は「大喜」で伊勢海老を食べた。しかし今年は1泊にした。まだまだ、慎重に慎重に、やらなければならない。

到着した夜に鰻を食べ、帰る前の昼に伊勢海老を食べることにした。

3月17日、5時40分に家を出た。雲一つない好天であった。新幹線の窓外、小田原から三島にかけて、富士が美しく、その全貌を見せてくれた。伊勢の空も碧く、一條の飛行機雲が、更にそれを際立たせていた。宇治橋手前の鳥居下で拝礼しつつ、私の心に満ちていたのは感謝だった。

4カ月前には、実際にこうして、良子と共にお伊勢参りできるとは、確信がなかった。強い希望だったが、それは実現しない恐れへの裏返しだった。それでも私たち夫婦は、3月には伊勢へ、3月には伊勢へと、語り合い続けてきた。3月に伊勢へ行くことができたら、良子は生き抜くことができる、そう私は思っていた。

そして、伊勢に来ることができた。玉砂利を踏みしめつつ、私たちは歩いた。

それにしても、伊勢神宮を、どういうものと考えれば良いのだろうか。

ここには確かに霊気がある。それは、私の心を鎮める。

※本記事は、2019年3月刊行の書籍『良子という女』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。