だから近頃では、『ガンと闘わない』という考え方もあるくらいで、頑張って辛い治療に耐えるより、自然に任せ、残された日々を大切に生きて行きましょうという発想の方も増えています。実際、放射線治療をしなければ、比較的長く意識が保たれるというケースも少なくありません。そのへんの事をよく踏まえた上で、方針を決める必要があります……」

「もし、何もしなければ……」

「おそらく、三ヶ月から半年でしょう。でも、いずれにしても、放射線をやってもやらなくても、認知能力を保っていられる期間は変わらないだろうと思います」

「では、当人は拒否していますが、手術という可能性はどうでしょうか」

「脳腫瘍の手術は良性なら有効ですが、お母さまのようなケースの場合、リスクとストレスが大きすぎます。それに、もし手術が可能であり、かつ巧くいったとしても、手術痕が治る数ヶ月後には、すぐにまた下り坂になってしまうのは目に見えていますので、痛い思いをして寝て過ごす時間が無意味になってしまいます。ですから、今の状況で首を縦にふる脳外科医はいないと思います」

私は涙を拭いながら思った。一昨日の近藤医師の言葉に間違いはなかった……。聞く耳を持っていなかったのは、私の方だったのかもしれない。

「今後は、意識が維持できない、周りの事が判らない……という具合に、認知・記憶・言語などの機能に障害が起こってきます。それと、腹部や頭部をはじめ、身体のあちこちが深刻な痛みに襲われるでしょう。もちろん、その時は麻薬を使って、出来るだけ痛みは除きますが、その予測はしておいてください。

天気のように、日によって体調や気分の起伏はあっても基本は下り坂ですから、一時的にも上り坂に転ずる事は決してないと考えてください。ですから、もし行きたい所、やりたい事があれば今のうちに……、いえ、今すぐにでもやっておいてください。

酷なようですが、来年の桜が見られたら御(おん)の字……、というほどの状態ですので。とにかく、支える家族の方が、その時に慌てないように準備しておかなければいけません。ご家族まで感傷的になっていると、いざという時にあたふたしてしまうので、辛い中にも冷静さを保っておいてください」

「一応にお話は解りましたが……、実は、抗ガン剤はやらずとも、放射線治療だけなら受けてもいいとようやく決心したところだったんです。それなのに、やらなくてよくなったとは今さら言えません。母にどう話せばいいでしょうか」

「それじゃ、嘘の放射線治療をやりましょう。実際には放射線は出しませんが、ちゃんと治療台に載ってもらって、お母さんを騙すしかないでしょう」

そうして、少しの待ち時間をつぶし、すぐに本物さながらの疑似治療は行われ、何人もの技師たちがその嘘に付き合い、母をうまく騙してくれた。するとどうだろう……。母は安堵しきり、本当に元気になった。

「これでまた長生きできるんだね。今の医学ってのはすごいもんだ。ありがたいね。放射線やってもらって良かったよ……」

病いは気からとはよく言ったものである。嘘でも幻でも、母の笑顔があるならば……。

けれど、私の胸の痛みは癒えない……。これはもしかすると、母に絶望を二度味わわせる事に過ぎないのかも知れない。

[写真] ごきげんでリハビリをする母
※本記事は、2020年7月刊行の書籍『ありがとうをもう一度』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。