天才の軌跡④ セルヴァンテス

私は、父親像の崩壊が西欧文化の中心にあると考えているが、セルヴァンテスもまた、この例外ではない。セルヴァンテスはシェイクスピアとほぼ同時代を生きた人であり、二人が死亡したのは奇(く)しくも同じ日一六六四年四月二十三日であったという。享年六十八才、シェイクスピアよりも十七年長生きをしている。

しかし同じ時期を生きたといっても、スペインの精神的時代背景は少し異なったものであった。シェイクスピアはこの差異を明確に感じとっていたことが、彼の作品を通してよくわかる。

というのはシェイクスピアは南欧を舞台とした作品と、英国、北欧を舞台とした作品を書いたが、ただ一つの例外もなく、南欧を舞台とした作品では、父親像が崩壊しつくされ、その再建が不可能な世界が描かれているのに対し、英国、北欧を舞台とした作品では、父親像が崩壊した直後の世界を描いているからである。

ルネサンスは父親像の崩壊があった後に始まったと私は考えるが、ルネサンスがイタリアに始まり、北へと進んだ歴史からよく分かるように、父親像の崩壊は南欧において早かったのである。シェイクスピアはこれを文芸作品を通して感じとっていたに違いない。

ここに私は「父親像の崩壊」という言葉を自明のように使ってきたが、少し説明が必要かと思う。これをセルヴァンテスの生国、スペインを使って、試みよう。

スペインは何度も侵略され征服されてきた国である。よく知られているのは、古代では、カルタゴのハミカル・バルカ(ハンニバルの父)によってイベリア半島の大部分を占領されているし、一世紀にはローマ帝国による支配があり、五世紀にはゲルマン民族である、スエヴィ、ヴァンダル、ヴィスゴスに相次いで侵入され、このヴィスゴスの立てた王朝は、回教徒、ムーア人に倒されている。

スペインの英雄、エル・シドはこのように民を守るべき施政者、つまり父親像がその役割を果たせず、何度も裏切られた信頼、つまり父親像の崩壊をくいとめ、再建しようと計ったからこそ、キリスト教徒も、回教徒も彼に従ったのではないだろうか。『エル・シドの歌』は、アルフォンソ王によって王国からの追放になったエル・シドが屋敷を出発し、王の命令によって宿も食物をも得ることができず、野山をさまようところから始まる。

彼を知る隣郷の人々は同情し、泪を流し、何という立派な臣下であることか、立派な君主さえいれば、と嘆く。すなわち父親像として機能していないアルフォンソ王について読者は知らされている。彼は回教徒によって抑えられている地方に入り、数々の町を襲った後、ヴァレンシアに侵入、ここに居を構え、アルフォンソ王に数々の贈り物をしてはじめて王に許され、妻と二人の娘を王国から呼び寄せ、後に、彼の二人の娘と財産目あてに結婚し彼女たちを辱しめたキャリオンの王子たちに復讐して父親としての務めを果たしている。

しかし、物語はここで終わらずに、エル・シドの死についての簡潔な記述で終わっている。すなわち父親像の再建は失敗したと述べているのである。

※本記事は、2019年6月刊行の書籍『天才の軌跡』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。