スパーリングは常に、道場で正しい指導のもと行われるべきだ。そうすれば、安全で管理の行き届いた環境で実践することができる。初心者は自制心に欠けるため、相手とのコンタクトを避けてスパーリングをするには経験豊富な先生が必要だ。

またスパーリングは常に、パートナーを意識し、互いに敬意を払って実践されるべきだ。先生は、生徒に対してしきたりを遵守するよう強く言い聞かせなければならない。もし生徒があまりにも無頓着で不注意な場合、負傷の可能性は急激に高くなるだろう。

自分や誰かを守るための正当な理由もなく、道場外で喧嘩をするような生徒に対しては、降格を命じるか、深刻な場合だと道場から破門すべきである。

テコンドーは、他者と争うことを目的としていない。長い人生、争いは時に避けられないものであるが、冷静かつ正しい判断によって対処されるべきだ。争いを求めれば、自ずとその場へ向かうようになり、結果的にそれによって苦しめられる事になるだろう。

テコンドーのスパーリングは、私利私欲のために他者を抑えつけるのではなく、体、心、精神の鍛錬を目的としている。よっ て、相手との対戦では勝つ事だけを目的にしてはならない。そればかりに気を取られても心を取り乱すだけである。争いは勝ち負けでなく、サバイバルなのだ。

勝つ事に集中すれば、無心の域から遠のいてしまう。これは以下のような禅公案の説にも似ている。生徒は、たとえ勝つ事を意識せずその術を持ち合わせていなくとも、きっと勝利を収めるだろう。無心の域に達した時、生徒にとって勝敗は無意味なものとなる。

そしてありのままの姿で体が自然と動いてゆく。一方で、相手を力でねじ伏せたいという欲求は、無心を失うことになり、勝利への妨げとなる。テコンドーでは、相手を抑えつけるために自分の力を決して使ってはならない。その力は自分自身の成長のために使われるべきである。テコンドーを通じて習得した体、心、精神の強さは、人生を豊かにし、護身のために活用されるべきである。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『人の道 伝統的テコンドーの解釈』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。