朝比奈が、「修行の仏教=禅」のほかに、「仏心の信心」を強調するようになったきっかけがある。それは、臨済宗の白隠和尚(一六八五~一七六八)を学んで「人間には誰にも“死んでも死なない”大生命がそなわっていることが、坐禅をすればわかる」と いう見性=悟り体験を、いとこの八十歳のお年寄りにした時のことだった。

そのお年寄りは「さとりという体験をしないでは、本当に救われないんじゃあ、私は一生、この世ではさとりに到達することはできない。もう八十歳にもなって坐禅の修行をする力もないし、仏法の本当の有り難いことがわからずに死ぬかと思うとさみしい」としみじみ答えたその言葉 に、31歳の朝比奈は「鉄棒でガーンと脳天を殴られたような気持になった」と言う(『覚悟はよいか』PHP研究所 昭和53年)。

その後、真宗高田派の僧侶・村田静照(じょうしょう)(一八五五~一九三二)によって「信心の仏教」があったと目覚めさせられる。「自力も他力も、つまるところ、如来そのものたる仏性にめざめるところから始まる。それがすなわち“大信心”というものだ」と。朝比奈が先の正田昭に他力で言う「お浄土へ行く」ことが仏心に帰ることだ、と言ったのもこの「信心の仏教」観のゆえであろう。

ところで、同じ江戸時代、白隠が批判した禅僧に盤珪(ばんけい)禅師(一六二二~九三)がいる。禅宗に言う「公案」を用いない盤珪の禅は「不生禅」と言われ、人は「不生の仏心」を授かっていて、それを大切にすれば埒(らち)が明くと庶民向けにわかりやすく説いた。

「不生」とは前述の松原哲明のいう「何も生じていない」の意味で、「不生の仏心」とは、例えば今法話を聴いていても庭で鳴く烏の声、雀の声などを無意識で聴き分けられるような、本来「霊明」な仏心の意味だ。我欲に発する「身びいき」や「気癖(きぐせ)」などによってくらまされずにいれば「不生の仏心」の信心によって一切迷わずに事が調(ととの)う、という教えである。

死生観に関して言えば、「不生不滅の此心なれば、地水火風は仮(かり)の宿」「死んで世界に夜昼暮らせ、それで世界が手に入るぞ」などと詠っている(『盤珪禅師語録』岩波文庫 昭和50年)。地水火風の四大(四つの元素のごときもの)でできたこの肉体は仮の宿に過ぎず、心は不生不滅、死んでこの世界と一体化し永遠に生きる、といった意味だろう。

「不生不滅」は臨済宗の盛永宗興(そうこう)(一九二五~九五)の言葉で言えば「今生きている自分の命は、過去に一度も途切れたことのない命」で、「この天地を動かしている大きな命がそのまま姿を変えて私になり、あなたになり、今の一瞬、この空になり、水になり、土になり、川になっている」となろう(『禅・空っぽのままに生きる』大法輪閣 平成12年)。

ここに至ると、「岡本かの子の節」で記した「無限の宇宙生命と、有限の個人の生命と、全く一つのものであ」るという法華経的な死生観と重なってくるが、このようにして生死を超越するという禅の在り方も説かれているのである。

※本記事は、2019年1月刊行の書籍『オールガイド 日本人と死生観』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。