私(西野鉄郎)は高校生に英語を教えています。N(西野作蔵)君は私の塾のOBです。上智大学の2年生で、ロシア語を専攻しています。帰省中の冬休みのある日、私たちは茶房古九谷(九谷焼美術館内)で会いました。話は弾み、3日連続で、「織田信長と古九谷」について話し合いました。

比叡山焼き討ち

(4)仏罰どころか信長に幸運が舞い降りる

N:その幸運とは何なのですか?

私:比叡山焼き討ち直後に東大寺の「蘭奢待」を賜るだな。

N:蘭奢待とは?

私:蘭奢待とは天皇家の宝物で、東大寺正倉院にある天下第一の名香だ。

N:正倉院の御物を信長が簒奪したという話は聞きませんが、実際はどうだったのですか?

私:そもそも信長は簒奪などしない。信長は正倉院に立ち入ることもせず、奈良の多聞山城で、東大寺大僧正の立ち会いのもと蘭奢待を切り取ったんだ。

N:蘭奢待を切るとはそれほどすごいことなのですか?

私:蘭奢待を切ったことで、信長を天下人だと誰もが崇めざるを得なくなった。信長以前、切り取ったのは足利義政のみ。義満、義教は香木を見たが切り取れず。秀吉、家康は見ることさえもかなわなかった。信長以降切り取りを許されたのはひとり明治天皇のみ。

N:信長はほんとうに教養人ですね。

信長と被る明治天皇

N:しかし明治天皇と信長はよく被りますね。

私:そうだね。接点の1つ目は信長の霊を慰める京都の建勲神社だ。建勲神社は明治天皇が建立されている。子孫以外では前田家と明治天皇のみだったね。2つ目は桶狭間の義元左文字だ。明治天皇が建勲神社に奉納された。3つ目がこの蘭奢待だ。

N:明治天皇、信長を好きなのでしょうかね?

私:間違いないね。

N:このことを日本国民は知るべきですね。

信長は多神教

私:ここからは信長教に迫ろう。

N:信長は一筋縄ではいきません。安土城の5階の仏教の世界。6階は儒教、道教の世界。そして安土城天主はモンサンミッシェルでキリスト教の世界。しかし安土城には他に摠見寺もありますでしょう? そういうところが信長のわかりにくさです。

私:信長は多神教だからさ。しかし米一粒にまで神様がいるアニミズムの多神教ではない。

N:ならば信長の多神教とは、いったいどのような多神教なのですか?

私:今の日本人は、クリスマスにケーキを食べ、ハローウィンでは仮装する。神社に初詣をし、教会で結婚式をし、そして葬式は仏式でするだろ。現代の日本人に近い感覚が信長にはあるんだ。

信長は無神論の多神教 政治家としては一神教

私:ところで信長教には教義がないんだ。

N:政治の道具のための信長教だからですかね?

私:いや。神道にはそもそも教義がない。織田剣神社の子孫の信長ゆえに教義はつくらなかったのだ。

N:聖書のないキリスト教なんて……。

私:しかし「信長教」は「一神教」であるがゆえに絶対的な「正義」と「悪」はある。信長の「残虐性」は一神教ゆえに起こるんだ。

N:あれ? 信長は多神教じゃなかったのですか?

私:信長はモダンボーイで、宗教感覚は現代人と同じなんだ。

N:というよりも現代人の多神教は無神論かもしれません……。

私:そもそも日本は神道の国だ。そこに仏教を習合して「神仏習合」になる。そして儒教も道教も習合して「天道思想」となる。信長はそれにさらにキリスト教を習合する。それが「信長教」だ。

N:なるほど。多神教と呼ぶもよし。一神教と呼ぶもよしですね。

私:信長個人はモダンボーイで無神論の多神教だ。そして政治家としては一神教だ。

N:政治家としてキリシタンですね。

私:信長はモダンボーイで、パンツまで穿いたかもしれない。祖父はほんどし、祖母は腰巻だったのにね。祖父母は昭和50年(1975年)まで生きていた。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。