第一章 生い立ちの記

二 あきらめ

そのことを、仏教では「業」という本質的なものを奥底に持っていると説き、縁に触れて折々に本質があらわれて来ると、教えられているのです。正しい信心をしていくことにより、「御智慧(※仏様からいただく場合はこの字で)」をいただき導いてくださるのだと、この頃から体験していたことなのでしょう。

母の成仏の姿が心中に刻まれ、乏しいながらも私の信心の火種となっていたのでしょう。

入信した機縁は、その教えを信じて活動する信徒の組織に所属していた伯母の勧めでしたが、その組織が、日蓮大聖人の教えを正しく伝え実践(信仰)している間は、その組織に属していた人々も、功徳をいただき守られていたのだと思います。だから、正しく信仰していた時は、私も皆さまも功徳をいただいてその喜びから、その組織は急速に広まっていったのでしょう。

母を亡くしてからの父は、前にも増してお酒に溺れていきました。そんな父を心配して後妻を世話してくれる人がおり、父は「子供のため」にと、昭和三十二年に再婚しました。その後、昭和四十三年に父は離婚しています。

祖父と父。約十年後に弟が、私もまた、父の死後二十六年目に離婚しているのです。

正しい仏法にめぐり合えても、過去世からの宿業があるのでしょう。伯母が教えてくれたとおり、その家系の姿のように思うのです。

また、父が、年は定かではありませんが、冬の山奥で雪の中に倒れていたところを、運よく見つけられたことがありました。自らの業苦、酒と女への煩悩に悩み続けての、自殺行為のようなものでしたが、この時にも強運な父でした。

しかし、それから十数年後の昭和四十九年の春、ウイスキー瓶を片手に酔い潰れて、河原で寝てしまい、帰らぬ人に……。

私もまた、わが家系の女性たちが歩む姿に似て、苦労の絶えない生き方をしてきたと思う時、次の言葉の持つ重みを感ずるのです。

『父母となり其の子となるも必ず宿習なり』〈『御書(一三九三頁)』〉

宿習とは、「前世から積み重ねてきた善悪が潜在力となって現世に及ぶこと」と、広辞苑に記されています。

以上のように、人間の頭では当然には考え及ばないものがあるのだということではないでしょうか。親子の因縁の深さを痛切に思い知るのです。

ここに一つの事実があります。三十年程前に知ったことですが、母の実母は列車事故で亡くなっていました。母の弟(叔父)もまたそれから数年後に、交通事故で亡くなっています。実の母子です。

約五十年前には、私も交通事故に遭遇しています。本当に親子三代にわたる輪禍です。

何か深いその家系の持つ宿業、因縁というものを、思わずにはいられない事実ではないでしょうか。

そのことを、弟は「姉さんはすぐ何でもそう言って結びつける」と言うのです。でも、私は思うのです。「偶然」ということは、ただの一つだってないということです。人間の目では見えない、頭では計り知れないだけであって、その基となる因(原因)があり、いろいろな縁を重ね、その果(結果)があるということを教えていただいています。自らも数々の体験から知り、納得できるのでした。

私たち親子は、伯母の所属する信仰組織を機縁として、「正法」を信じ始めましたが、入信から約十年たった昭和四十年頃から、組織の布教活動のあまりの異常さに、恐ろしささえ感じ、組織活動への批判、組織への反発や嫌悪感が芽生え、不信感が大きくなっていきました。

私は、子供の頃から内気でどちらかと言えば陰気でした。就職して職場に馴染み、いくらか世の中でも通用するようになっていましたが、わが家の経済的状況は一向に好転せず貧乏で、私自身も自分に自信が持てませんでした。いつしか「私は結婚できない」と思い込んでいったのでした。自分自身をも信じられない。そして、その組織はもう信じられなくなっていました。

昭和四十三年に父が離婚した後、父は結核を患い入院したので、私が面倒を見ていましたが、昭和四十六年頃には少しよくなりました。東京に就職していた弟が、「いつまでも姉さんに面倒ばかりかけられないから、一緒に東京で生活しよう」と言ってきました。私は仕事をやめるつもりで、上司に、東京へ出て働きたいので、やめさせていただきたいと申し出たのです。

その職場は幸い国の機関でしたから、所属の省庁の出先機関が全国にありました。その時の上司のお話は、「あなたは採用されて十年目です。年齢的にも今から上京して民間企業で就職することは大変なことです。満十一年勤務すると退職一時金の支給率が高くなること。あなたは一生懸命働いてくれたので、自信を持って推薦できますから、東京へ転勤したらどうですか?」と言ってくださったのです。

上司のありがたい計らいで転勤させてもらえたのです。この計らいがあり、今があるのですから、「転勤の計らい」も大きな節目となりました。