(3)よりリアリストになる信長

私:比叡山などの仏教勢力への牽制もあり、信長はキリスト教に接近した。命がけで来日し、命がけで布教する宣教師たちに信長は驚き、彼らに好感を持った。

N:しかし信長はキリスト教にキリスト教帝国主義を感じたのでしたね。

私:津島、熱田で海外情報を手にいれていたことからもわかるように、信長はつねに目を外に向けていた。それゆえ宣教師の来日が単に布教の目的だけではないことくらい信長は看破していた。

N:比叡山焼き討ちなどの対仏教戦争に、キリスト教の影響が何かあるのでしょうか?

私:信長の「宗教戦争」を時系列的に俯瞰すると、信長は、35歳のときにフロイスに会い、36歳で石山本願寺と戦(いくさ)を始め、37歳で比叡山焼き討ち、40歳で越前征伐となる。

N:フロイスに会ってから対仏教戦争が始まったのがわかりますね。やはり信長はキリシタンで間違いありませんね。

私:フロイスは信長に布教した。「悪い行いには天罰が下り、良い行いには天の加護がある」と。信長は即座に思った。キリスト教は天道思想と同じだ。

N:信長は天道思想をクソくらえと思っていましたよね?

私:今は戦国の世。過去のすべてが今の戦国をつくった。つまり天道思想さえもが戦国をつくり、だから、天道思想などきれいごとだ。きれいごとでは戦国の世は平和にならぬ。

N:「悪い行いには天罰が下り、良い行いには天の加護がある」とフロイスはキリスト教をそう教えていたのですか?

私:大名向けにはね。宣教師たちはキリスト教の教義を日本向けにアレンジしていた。

N:「人間ではない人間」の話はどうなりましたか?

私:信長はフロイスの本音を聞き出す。われわれにはキリスト教の凄まじい「人間観」と映るが、信長はそれが当時のグローバルスタンダードの「人間観」だと理解したのだ。

N:キリスト教徒にあらずんば人にあらず。異教徒は「悪魔」で殲滅せよ。信長にも都合のいい価値観ですものね。

私:いや、それこそが戦国時代を終わらせるための価値観であり、戦国の世の次にくる平和な世の価値観であると信長は認識した。そして迷わず宗教戦争に突撃した。

N:なるほどな。比叡山焼き討ちとは、そういう意味なのですね。信長をよりリアリストにしたでしょうね。だって「仏罰」など怒らないし……。

私:それどころか、直後に、ある幸運が信長に舞い降りたんだ。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。