さて昨日、認知症の老人が起こしたJR事故死について、家族にどこまでの監督責任があるのか、最高裁の判決があった。

愛知県の認知症の男性(当時91歳)が2007年、家族が目を離した隙に家を出てJRの駅構内で列車にはねられ死亡した。JR東海が振り替え輸送費用の賠償を遺族に求めた。

1審は妻の過失と長男の監督義務を、2審は妻の監督義務をそれぞれ認めた。

今回最高裁は1審、2審を退けた。

私はこの判決を注目していた。

ほっとしている。

これで家族の責任が認定されるなら、老人にとって苛酷なことになっただろう。老人は“つながれる”しかない。家族にとって究極、それ以外の手段はない。責任の名において、虐待が起こるだろう。

あるいは、子を思う心優しき老人は(私もその一人と思うけれど)、自分がボケる前に、自裁するしかない。

ボケがいつ来るか分からないので、早めに決断することになるだろう。

私は最高裁判決を支持する。

ただ現実に「被害」は存在する。今回のJRのような巨大組織には実質痛痒はないであろうが、被害者の状態によっては、被害が致命傷になり得る。色々なケースについて、想像が可能である。

3月1日19時17分放映のNHKニュース(Webサイト)によれば、「10年後には5人に1人が認知症」とある。

「厚生労働省によりますと、認知症の高齢者は去年の時点で全国で520万人と推計され、いわゆる、団塊の世代がすべて75歳以上になる9年後には700万人に達して高齢者のおよそ5人に1人に上ると見込まれています。」

私が恐れるのは、「足腰が立ってアタマが惚ける」ことである。家族にとって爆弾になる。私のこれからの最大のテーマだ。

受験→就職→子育て→親の介護→自身のボケ

これが、人生なのか?

※本記事は、2019年3月刊行の書籍『良子という女』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。